1913年(大正2)のユタ裁判 その8

kamado

ここまで延々と1913年(大正2)のユタ裁判の公判記事を掲載しました。第3回公判で被告仲地カマドを拘留20日の刑に処す判決が下され一件落着と行きたいところですが、そこは往生際の悪いカマドさん、区役所の判決を不服として地方裁判所に控訴したため、当時の沖縄社会はまたまた大騒ぎになります。

本日から1913年3月17日行われた那覇地区地方裁判所での第二審公判の内容を掲載します。

区裁判所の判決に不服を唱えて控訴したユタ仲地カマドの第二審公判は、大正2年3月17日午前10時より那覇地区裁判所法廷で開かれた。

仲地が警察の判決を不当とし、正式判断を仰ぎ、区裁判所で前後3回の公判で拘留20日を言い渡され、それに服するのではないかと思いの外、控訴期限最終日の去る10日、突然地方裁判所に控訴したのは、どんな有益な証拠を提出するのかと、物珍しがられて前回以上の興味で公判の日を待ち受けられた。定刻前は傍聴席は蟻のはい出る余地もない程のすし詰め。溢れた傍聴人は法廷の周囲に人山を築き、前回に劣らぬ雑踏を極めた。

ギッシリつまった傍聴席を押し分け、巡査と挺丁に引かれて入った仲地カマドは何処となくしょげ返った態だが法廷訊問3回の経験から、大いに場馴れの態度で裁判長の訊問に答え、前回のような悪態をつく事はなかった。松田裁判長は例により被告の住所、氏名、職業等を聞いた後、訊問に入った。

松田裁判長 被告は前裁判で拘留20日に処せられたることに相違ありませんか?

仲地被告 相違ありません。

松田裁判長 当裁判所に控訴したのは前裁判に不服なるためですか?

仲地被告 そうです。

松田裁判長 被告は2月27日午後7時頃、具志堅マウシ宅にて神託と称し、大声で東町に大火があったのは神罰を受けたので、水火の神、陰気七獄、陽気七獄、十四か所の拝所に祈祷しなければ西町全体が丸焼けになると言ったと云うがどうですか?

仲地被告 そんな事を言った覚えはありません。

松田裁判長 警察で仲村渠部長が調べた聴取書によれば、被告はその当時こうした事を言っていた、と申し立てた、と言うが、違うのですか?

仲地被告 その時は狼狽していた故、どんな事を申し立てたのか一向覚えありません。

松田裁判長 被告は東町の大火後、或る日の午後10時頃、具志堅マウシ宅で、今、神が現れ、自分に世界の宝は何々かと聞いたので知らないと答えたところ、神は世界の宝は火と水じゃ、世間の人は天に神あるを知っているが、地に神あることを知らない。地の神の信心が浅いため、神の祟りで今度の大火も起きたのだ。水火の神は区内に陰気七獄、陽気七獄、十四ヶ所の他に、奥武山の天頂山等、田舎には島尻の伊敷轟、宜野湾の真志喜森川も水の神なので、早く祈祷しないと、また神のたたりを受けて西町迄も全焼するとの教えを受けた、と具志堅マウシに話したというがどうですか?

仲地被告 そういうことを言った覚えはありません。

松田裁判長 具志堅マウシは警察の調べの時も前裁判法廷でも、被告がこうした神言を云ったと申し立てているがどうですか?

仲地被告 そんなことはありません。具志堅マウシは私の言わないことを申し立てたのです。

松田裁判長 具志堅マウシは、何故無実な事を申し立てたのです?

仲地被告 具志堅マウシは自分で神言を云いながら、神人の親分なる故、自分始め他の子々にも累を及ぼさない様、私一人に罪を負わせて安全を計ろうとして、警察で色々無実の事を申し立てたのです。

松田裁判長 具志堅マウシも神言を云ったはずだが、被告も一緒に言ったのではないのですか?

仲地被告 そんなことはありません。

松田裁判長 具志堅マウシの前法廷の申し立てによれば、被告は神託のあった事は、警察なり県庁なりに出て、自分の身はどうなってもよい、早くこの事を町中の人に告げて祈願させなさい、と具志堅マウシに話したので具志堅マウシは平良カメに話したと言うがどうですか?

仲地被告 そんなことは言いません。

松田裁判長 城間ゴゼイ、城間オミトの申し立てによれば、被告は2月17日、具志堅宅で神の御告げがあったという事を話しているのを両城間も聞いたと言うがどうですか?

仲地被告 言ったことはありません。

松田裁判長 ならば城間ゴゼイ等は何のためにこんな申し立てをしたのですか?

仲地被告 分かりません。(続く)

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