1913年(大正2)のユタ裁判 その6

前回の公判で城間ゴゼイさんの証言のよって仲地カマドさんはピンチに陥ります。ロールプレイングゲームに例えるとクリティカルヒットを食らった状態です。しかもそれだけではなく、第三回公判においてもう一人の主人公である具志堅マウシさん(49)が証人として出廷することで、カマドさんは絶体絶命の状態に追い込まれます。では具志堅マウシさんが殺る気満々で登場した1913年(大正2)3月4日に行われた第三回の公判の記事をアップします。

~1913年(大正2)、3月4 那覇区裁判所にての第回公判(琉球新報の記事は3月5、3面に記載)~

ユタ仲地は警察の拘留20日の即決を不服として、正式に裁判を仰いだばかりにかえって群集環視のうちに赤恥をかき折角の意気込みも結局面目丸潰しとなった。

裁判の結果は、警察の即決通り拘留20日に処せられ、ひと先ずユタの裁判騒ぎも一段落した。

珍しいユタ裁判は一回より二回と評判となり、昨日(3月4日)の最後の公判は朝まだきから傍聴に押し寄せ、来るもの引きも切らず、10時近くになると法廷の周囲には人垣で埋まった。この日も婦人の傍聴者多く、中には区内上流家庭の婦人等もあり、裁判所開闢以来の雑踏を極めた。

ギッシリと寸隙もない傍聴席を巡査に伴われ病魔の足を引きづって具志堅マウシが入ってきた。今年49才のしわ苦茶で願いによって着席のまま応答を許されたが、血色に富む顔面に鋭い眼光を張って、平気で坐っている姿はどう見ても病魔とは思われない。

長野判事は例により、住所氏名職業並びに被告カマドと親類関係の有無などを聞いた。証人は「仲地カマドは元自分の借家人で知己となった」と答えた。

長野判事 先月17日、仲地カマドが証人宅に行ったことがありますか?

具志堅証人 はい、まいりました。

長野判事 何の用で行ったのですか?

具志堅証人 仲地カマドは自分の宅には常によく来ますが、その日は観音様より御告げがあるとのことで来ました。 

この時、そばにいたユタはツト立ち上がり、大声張り上げ卓を叩いて証人に威喝を加え、傍聴席もどよめいて騒がしくなった。巡査や廷丁に叱られてユタ不承不承に席につく。

長野判事 神の御告げとはどういうことですか? 

具志堅証人 火難があると言うのです。 

長野判事 それは旧の12日ということですか?

具志堅証人 ハイ、そうです。 

ここでユタ再び立ち上がり又々大声で証人をののしる。具志堅マウシも負けずに金切声を張り上げののしり返し、一場喧騒を極めたため、証人調べ終了まで被告ユタはついに退場を命ぜられた。

長野判事 旧12日に来てどこに火難があると言いましたか?

具志堅証人 底氏より出火して西町全体焼き尽くすと言いました。

長野判事 辻まで焼けるとは言いませんでしたか?

具志堅証人 辻までとは聞きません。

長野判事 証人にだけ話したのですか?

具志堅証人 畳を叩いて大声で言いました。

長野判事 警察でも申し立てによると、恩納節の口調で言ったとのことですが、どうですか?

具志堅証人 平素神事を言うには恩納節の口調ですが、その日は畳を叩いて大きな声で言いました。

長野判事 今年は、ミンニー丑の廻り年で旱魃あり、火の神ならず水の神も荒れて東町の大火を起こしたので、早く祈祷せねば西町全体が焼けると仲地カマドが叫んだと言うがどうですか?

具志堅証人 その通りに言いました。

長野判事 那覇には14か所の拝所と御嶽7か所とあり、奥武山、天頂山、泉崎獅子、松山仲島、小堀等に祈祷しなければ火災が起こると言いましたか?どうですか?

具志堅証人 それは仲地カマドが神よりの御告げとして述べました。

長野判事 そのことを玉川屋付近に住む平良カメに話しましたか?

具志堅証人 仲地が、那覇は今に大変だと言って、西町の婦人に早く伝えよ、と言いましたので、私は平良に告げました。

長野判事 仲地が、証人にその神事を話せよ、とは言いませんでしたか?

具志堅証人 仲地が言うには、たとえ県庁や警察が出ても、自分の首は取られても、神の御告げは皆に伝えると言うので、私は驚いて平良カメに話したのです。

長野判事 仲地が証人宅で神事を叫んだ時、他人もいましたか?

具志堅証人 家には人はいませんでしたが、外には多人数が立っていました。

長野判事 仲地及び証人の居所と、外に立っていた人々との距離は?

具志堅証人 ちょうど、この長さ(と、自分の席より法廷東側の窓の所まで指す。その長さおよそ1間半)

長野判事 仲地は他人に聞こえるように大声を出したのですか?

具志堅証人 ハイ、そうです。

長野判事 仲地の話はよく他人に聞こえましたか?

具志堅証人 間違いなく聞こえたと思います。

長野判事 家は開放していたのですか?

具志堅証人 ハイ、そうです。

長野判事 外よりよく見えますか?

具志堅証人 ハイ。

長野判事 観音を安置してありますか?

具志堅証人 ハイ。

長野判事 仲地の当法廷での陳述によれば、12日には単に観音様を拝みにいったのみで、別段ユタの真似をした事もなく、西町の火災うんぬんを言ったのは証人が言ったとの事ですがどうですか?

具志堅証人 いいえ、決してそうではありません。

このとき弁護士の注意あり。

長野判事 観音を祭るについて、糸満町の渡久山に許しを受けたり、又はその人が天の神や地の神などのことを教えたと言いますがどうですか?

具志堅証人 観音のことは渡久山とは関係ありません。しかし今より25年前、観音の絵図より木像に造り変えるとき、渡久山に頼んだことはあります。

長野判事 内地に行ったことがありますか?

具志堅証人 ハイ、あります。

長野判事 どんな用で行ったのですか?

具志堅証人 神様のことで大阪の本部まで行きました。

長野判事 仲地が捕縛されたと聞いて、証人が糸満の渡久山まで使いを出したのは何のためですか?

具志堅証人 仲地が私の家で捕縛されたので驚いて渡久山に聞きに行ったのです?

以上で証人調べを終わり、被告ユタの訊問に移った。

この後被告訊問と中原検事の論告、前島弁護士の無罪論がありますが、続きは次回アップします。ここまでの流れを見ると、具志堅マウシさんの問答無用の証言でカマドさんフルボッコの展開で、もはやカマドさんのライフはゼロに近づいている状態です。ただしここでギブアップしないのがカマドさん、被告訊問で具志堅さんの証言を全否定します。(続く)

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