琉球王国(あるいは琉球藩)の時代の女性は伝統主義的な思考法から逃れられない環境にありました。前に説明した通り伝統主義的な思考法は良い伝統と悪い伝統を区別しません。だから当時の琉球人は昔ながらの慣習をそっくりそのまま引き継いで社会生活を営みます。
では当時の琉球王国における女性の代表的な慣習は何でしょうか?その答えは手甲への入れ墨(ハジチ)です。ハジチの慣習は何時頃から始まったかは不明ですが少なくとも数百年の歴史があり、特筆すべきは貴賤問わずすべての女性たちが手甲に墨を入れていたことです。
ブログ主は30年以上前になりますが、糸満出身のご婦人のハジチを見たことがあります。完全な形ではありませんが、手の甲に黒い角形の模様があったことをハッキリ覚えています。それに反してブログ主の祖母は1918年(大正7)生まれですが、手の甲にハジチの跡はありませんでした。祖母は高等教育を受けた世代(第一高等女学校卒)ですが、大正末から昭和初期は女子教育が充実し始めた時期でもあります。その頃から沖縄社会からハジチの慣習がなくなったことが分かります。
では琉球藩の時代に来琉した日本人は琉球女性の入墨に対してどのような感想を持ったのか?河原田盛美氏の琉球紀行から女性の入墨に対する記載がありましたので抜粋します。
女子は六、七歳の頃五本の指に入墨し、二十四、五に至れば手甲悉く円形又は角形の入墨を為す。其の醜体見るに堪ず。内地の染歯*と同じと雖も染歯は洗い磨き落れども●入墨は終身落剃することなし。違式詿違*中、身體へ刺繍をなすものにして改めざる可らざるものなり。然れども斯くの如き慣習は急に強て改めるを要せず漸々説諭して可ならんに、予既に二、三の婦女子に説諭するに頗る感悟して改めるを願う情あれども藩庁の許可なしを以て如何ともしがたしと話せり。
*染歯(そめば):鉄漿(かね)で染めた歯。
*違式詿違(いしきかいい):明治初年における軽微な犯罪を取り締まる単行の刑罰法。
一部不明な個所は●表示にしましたが、「其の醜体見るに堪えず」と酷評していることが分かります。この文章における一番のポイントは河原田氏の説得に対し女性たちが頗る感銘を受けたにも関わらず、結局行動に移さなかったことです。「藩庁の許しがない」ことを理由に挙げていますが、本当の理由は伝統主義的な価値観に囚われていて行動に移す勇気が出なかったからで間違いありません。それほどまでに伝統主義の縛りは強固で如何ともし難い力を持っているのです。(続く)