琉球・沖縄の歴史の個人的な謎 近代にいたるまで女性が文字を読めなかったこと その7

前回で女性が文字を知らず、学問の世界から遠ざけられていたための社会的弊害について記述しました。その弊害は後世にまで及んだのですが、その1つに産業経済の面で女性の経営者がついに誕生しなかったことがあります。

18世紀中盤の琉球王府の政策の一つに士族の商業推奨があります。理由は18世紀になると琉球国の士族人口が増加して、王府が士族全体に職を提供できなくなったからです。王府は士族に対する課税を免訴して他の職業で収入を得るように方針転換します。(ただし士族の子女を尾類(ジュリ)に売る行為は禁止されます)

ただし王府として商業を推奨したのはいいのですが、士族の男性は総じて商業活動を蔑視していたため実際の商業活動は士族の女性たちが行っていました女性が商業活動を担った件に関しては以前にも触れましたが、その実態は下記の文章から察することができます。(沖縄志略、伊地知貞馨著より抜粋)

*婦人は紡織に従事し、曾て字を知る者なし、布帛諸品を売買するは、皆女子なり、算法を知らず、縄を結びて符とし、数万貫の銭、即ち算了し、錙銖(ししゅ)を差らず、積年小銅銭の行使に慣れ、遽か(にわかに)に金銀楮幣を施し難きの勢いあり(沖縄志略より)。 

上記の通り士族の女性たちは算数を知らず、独自の計算方法で銅銭(あるいは鉄銭)勘定を行っていました。実は金貨や銀貨の勘定ができなかった件は極めて重大です。それは那覇の商業の実態は単に小売りが盛んなだけで、大量仕入れによる廉価販売などの商業システムが確立していなかったことを暗示しているからです当時の那覇市場はおそらく現代に例えるとフリーマーケットが年中開催されているようなものでしょうか。(続く)

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