前回でユタの問題のやっかいな点は社会階層の隅々にまでその権威が及んでしまうことを説明しました。では社会階層の隅々にまでユタの影響力が及ぶとどのような不都合が生じるのでしょうか?
現代ではユタの権威と社会を構成する秩序は共存できます。理由は内面の良心の自由が権力によって手厚く保護されているからです(日本国憲法第19条、思想および良心の自由*)。日本国憲法第12条*において自由・権利の保持責任とその濫用の禁止が明言されていますが、個人が心の中で思うことに関しては一切の制限をかけないのです。つまり心中では何を考えてもいいのです。
*日本国憲法第12条【自由・権利の保持責任とその濫用の禁止】 この憲法が国民に保障する自由及び権利はあ、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う。
*日本国憲法第13条【個人の尊重と公共の福祉】 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限の尊重を必要とする。
*日本国憲法第19条【思想及び良心の自由】 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。
参考までに日本国憲法第12,13条と19条を記載しましたが、大きな違いは第19条には公共の福祉という文言ないことです。つまり思想及び良心の自由は無制限で可なのです。具体的には心中で悪魔を崇拝したり、反社会的な思想に耽ってもOKです。ただし言論や行動などの表現に対しては法的・社会的制裁を加えられるケースがあります。それ故現代社会ではユタコーヤー(ユタ買い)は自己責任のもとで行っても構まいません。周りの目が気になるようであればユタ買いを止めればいいし、気にならなければユタの権威に頼りきっても問題なしです。
琉球王国(あるいは琉球藩)の時代は全く事情が異なります。当時は大名であれ、士族であれ、百姓であれ旧習に従って生きる社会で、個人の意識という発想は全くありません。それゆえに自己責任という考えもなく、つねに各々が属する階層の秩序に従って行動するのが当たり前でした。
ユタは1609年(慶長14)の薩摩入り後の社会環境の変化の結果、大きな影響力を保持するようになります。既存の神女の権威の低下を埋め合わすような形で新たな権威が誕生したと考えてもいいでしょう。そうなるとユタの権威に頼る行為は権力側からすると既存の権威に対する内からの挑戦そのものです。だからこそ琉球王府の為政者たちは執拗なまでにユタに対する禁止令を発布して、その権威を潰そうと画策したのです。(続く)