琉球・沖縄の歴史の個人的な謎 近代にいたるまで女性が文字を読めなかったこと 番外編 結論その1

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すこし調子に乗りすぎてユタについて長々と記述してきましたが、実は現代においてもユタの問題は沖縄社会の裏面に潜んでいて解決できたとは到底言い難い状況です。ではどのようにしたらユタの問題に対処したらいいのでしょうか。

ブログ主が思うに、ユタの問題は元々は前述したとおり

1.1609年(慶長14)の薩摩入り後の社会環境の変化で、従来の神女組織の権威低下を埋める形で誕生した新たな権威であること。

2.呪術および呪術を駆使する者(この場合はユタ)に対する憧れと恐れの感情が強いこと。

にあるため、(政治)権力を以ての規制は無駄な行為であることを理解することからスタートすべきです。現代においてもトートーメー考(琉球新報社、1980年刊行)を読むと読者の声として「ユタを規制しろ」という意見がありましたが、琉球・沖縄の歴史上でトキ・ユタの禁止令は一度たりとも遵守されたことはありません。

呪術は「超自然的な何かを操って利益を獲得したい」という人間の欲望の現れで、この件は古代、中世および現代においても変わりはありません。現代は科学が発達しているため社会全体から呪術的要素が薄まっているだけです。人間の欲望(内面)の問題を政治権力で規制は不可能ですし、呪術を未開で野蛮なものと決めつけて否定してもハッキリ言って効果ありません。人間の業の深さを甘く見過ぎなのです

琉球・沖縄の歴史においてほとんどすべての女性がユタの権威に服従してしまった件は、女性が文字を知らず無学の状態であったことと、医療レベルの低さに原因があります。ただしこの仮説は矛盾があります。現代女性は文字の読み書きはスラスラできて、学問レベルも高く、医療の発達で乳幼児死亡率が極めて低くなったにも関わらず、ユタ商売のお得意さんは主婦層が圧倒的に多いのです。

となると、現代社会におけるユタ問題の本質は、学問や学歴とは無縁の何かが関連していると考えたほうがいいでしょう。では現代においてもユタが存在するための条件は何か、それは前述した通り呪術への憧れの感情が根強いことと、祖先崇拝の念が強すぎることにあると考えられます。

沖縄県民は現代においても祖先を敬うことと崇めることの区別ができません。では敬うと崇めるの違いが何か、それは恐れの感情の有無です。敬うという単語には恐れの感情は全くありませんが、崇めるという単語には明らかに恐れの意が含まれています。タタリは漢字で「祟り」と記述することからでも明らかです。それゆえ現代に生きる沖縄県民から行き過ぎた祖先崇拝を改める動きが出たら、たちまちユタの存在そのものを揺るがず事態になることは間違いありません。(続く)