琉球・沖縄の歴史の個人的な謎 男色の慣習がなかったこと 最後に

最後に琉球・沖縄の歴史において(ブログ主が知る限り)ただ一人男色家がいますが誰だと思いますか?何を隠そうその人物は奈良原繁氏です。その逸話を記載して男色の慣習がなかったことの閑話を終了します。

~名士奇人聞録(明治44年刊行) 奈良原繁少者を愛するの辞~

前の日本鉄道会社社長奈良原繁は人も知るオイドン鹿児島の古兵にて老いて益々壮なるの風あり、渠や元と美少年を愛し、今は併せて美少女をも愛す、而して其の若者を愛するの辞に曰く、「薩州国分は上等莨(たばこ)の産地なり、窃かに古葉の手置を窺えば老圃は先ず青葉を廣げて古葉をその上に置き、復青葉を重ねて古葉を置く事幾十百層に及んで始めて永く保存せらるるなり、人間も亦然り老者少者に交わる頻繁なれば心身自ずと復活膏化して気力は更に衰えず、是れ乃公(オイドン)が年少男女を愛して勉めて之に近接する所以なり」と、聞者ナール程と感服す。

上記の話は纏めると「心身ともに若返るために男女問わず若者との性行為を楽しんでます」になりましょうか。ナール程と関心する作者にも突っ込みを入れたいところですが(笑)かの徳川家康も還暦越えたあたりから10歳前半の女性と毎晩同衾してペド趣味全開のセクハラ三昧だったと言い伝えがありますので、壮年者が若い人と同衾あるいは性行為することは若返りの特効薬と信じられていたのかもしれません。

奈良原氏は齢58歳のときに官選第四代沖縄県知事として来沖した際にはどうやって美少年を調達したのでしょうか。彼はバイセクシャルなので辻町の年若い尾類(ジュリ)相手で満足したのかもしれません(終わり)。

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