エリシウムの考察

ここ数日、SNSでのやり取りで色々思いつくことがあり、今回はとある呟きに対するブログ主の考察をまとめてみました。それは令和5年(2023)9月30日付のRobert Kajiwara氏(比嘉・梶原孝昌ロバート)の投稿ですが、「琉球独立国の再建、すべての琉球人・うちなーんちゅに平和と繁栄」と題し、琉球独立国の再建についての “お気持ち” が表明されていました。

内容に関するツッコミは置いといて、Kajiwara氏の ”お気持ち” には琉球独立を唱える輩の深層心理がハッキリ読み取れるのが極めて興味深いです。というのも、彼が掲げる「琉球独立国の再建」は明らかに理想郷(エリシウム※)であり、それは現代を「汚れた状態」との前提があって成り立つ発想なのです。

※エリシウム(Elysium)とは原義は古代ギリシャにおける死後の楽園のことですが、ここでは「理想郷」の意で用いています。

となると、琉球独立を唱える輩は、「現代の沖縄がいかに汚れた状態か」を証明する(心的)責務が発生します。それ故にSNS上で「沖縄は差別されている」や「ヤマトによる植民地的支配」などと唱え続けています。そして “穢土” を現出させている憎むべき存在として、「アメリカ、日本、そして自民党に対しては何を言ってもいい」というゆがんだ感情に基づく発言を繰り返してしまい、顰蹙を買い続けるのです。

もう一つ強く指摘しておきたいのが、彼らが思い描く “理想郷” は琉球が独立した際に現出するとは限りません。

だからこそ独立後の理想郷に魅了されるのです。

琉球独立を唱える輩は、傍目で見る限り一枚岩とは言えませんが “一種の宗教心理” に基づく行動様式であることと、

りうきう独立を唱える輩のほうが汚れた存在

と一般社会から看做される傾向が極めて強い点です。それゆえにどんなに立派な思想・信条もそれを支える人格が(決定的に)不足している限り、りうきう独立は永久にあり得ないと確信して今回の記事を終えます。