今月22日、沖縄市民会館で開催された県民大会に絡んで、翌23日の沖縄タイムス20面特集号に「奪われ続ける尊厳と命」と題し、米軍に起因する性暴力の一覧が掲載されていました。
ちなみに年表の上には「1945年4月1日、沖縄戦で米軍が沖縄本島に上陸した。その後、県内各地で強姦が多発した。この年表に刻んだ事件は氷山の一角で、事件化されずに闇に葬られたり、数多くの被害者が泣き寝入りを強いられたりした。米軍に起因する性暴力により、多くの人々の尊厳と命が奪われつづけている」とあり、「やったもの勝ち」との性犯罪を含む暴力の本質(黒字部分)を見事に指摘してます。
それ故に性犯罪を含む暴力行為については “イエス・バッド” の対応ではなく、「〇〇〇の理由だとしても、暴力はいけない」との強い態度で接するのが正しいやり方であり、そのようにし続けることで暴力行為の軽減に繋げる必要があります。
そして暴力の本質は米軍人・軍属だけではなく、我が沖縄県民にも当てはまります。それ故に暴力行為、あるいは「未遂」には県民に対しても厳しく接することが肝要と確信しています。
すこし話がそれましたが、23日の記事をチェックして気が付いたことがあります。去年、ブログ主は “あいろむチェック – 米軍人・軍属の犯罪発生件数編” と題して、米軍人・軍属の犯罪発生件数を表にまとめています。あくまで復帰後のデータですが、沖縄タイムスの記事と比較して、米軍人・軍属の犯罪は明らかに減少していることを確信しました。
この事実を指摘すると「米軍人・軍属が起こす事件の矮小化」とか「沖縄問題の本質を分かっていない」と主張する輩が必ずいますが、在沖米軍当局の努力によって犯罪発生率は減少傾向にあることは紛れもない事実であること、だがしかし
それでも犯罪は起こってしまう
ので、暴力行為に対しては「理由が何であっても暴力はダメ」の強い態度を示し続けなければなりません。
ちなみにブログ主は暴力行為における “イエス・バット” を強く否定しますが、それはつまり暴力行為に「正統性」を与えるからです。そしてこの論法が一般化してしまうと、たとえ在沖米軍が沖縄から撤退しても、県全体の性犯罪を含む暴力行為は減少しないと確信しているからです。
それを踏まえて、2年前に公開した記事をご参照ください。この時「確かに彼のやったことは悪い、しかしこれからの彼を見届けてほしい」とのイエス・バッド論法で擁護し、そして那覇市長選挙への擁立に動き、選挙活動を行った人たちがいましたが、彼らは
22日の県民大会にどの面さげて参加したのだろう
と不思議におもったブログ主であります。