ももとふみあかりの謎 その2

前回の記事において、ももとふみあかり(百踏揚)女神官は古りうきう時代に複数存在していた可能性について言及しました。そして同女神官と島尻地方との関わりについて考察していきますが、その前に王族以外の “ももとふみあがり” について言及します。

ブログ主が「おもろさうし」を通読して確信できたのは、女神官として唯一無二の存在は「きこゑ大きみ(聞得大君)」だけであり、その他の女神官については同時代に複数いた可能性が否定できない件です。一例を挙げると「勝連・具志川のおもろ御さうし」の中に勝連按司の娘(あるいは姉妹)と思われるうわもり(上森)女神官のオモロが複数掲載されていますが、彼女は18世紀初頭、首里王府によって編纂された「女官御双紙」に記載されている3人のうわもり(上森)とは明らかに別人です。

古代のりうきう社会は南部を中心に数多くのグスクが存在していました。島尻地方だけで60前後もあり、それ故に各城に所属する女神官たちの聖名が被っていても何ら不思議ではありません。ももとふみあかり(百踏揚)についても同様で、試しに彼女が唯一無二の存在ではないと思わせるオモロがありますので、全文を紹介します。

(一六ノ三一) おとゝきみまさりかふし

一 たらもいや、とくらしや、あまえ、よら、ほこり、よら

又 あか、つゝみ、ちやくる、わし

又 たか、とりよら、たか、うちよら、もゝと、ふみ、あかりか、あす

(一六ノ三一) 弟君優りが節

一 太郎もいは、着くらし。歓へ居らん。誇り居らん。

又 吾が鼓、た狂はし、(一節二行目から折返)

又 誰が取り居らん。誰が打ち居らん。百踏揚がこそ。

鳥越先生の解釈は「①太郎さんは到着したらしい。よろこんでおるであろう。②わが鼓をほんとうに狂うようにさせて、……③誰が用いて打ち鳴らしているのであろうか。百踏揚(女神官名)だよ。」とあり、補足として

「太郎もい」の「もい」は尊称の接尾語で、長男または最もすぐれた人という意で、オモロにはしばしば用いられる。その太郎が城に到着したようで、そのため自分の鼓を狂わしげに打ち鳴らしてよろこんでいるが、一体誰が鳴らしているのであろうか、百踏揚女神官に違いない、という意である。太郎を迎えたよろこびを詠んだものである。

とあり、神託というよりは叙景詩を思わせるような珍しい構成になっています。ここで気になるのが、通説によると勝連按司の妃であるももとふみあかり(百踏揚)がなぜ具志川城で(城主の)鼓を打ち鳴らしてたらもい(太郎様)を歓迎したのか、この点について(実に苦しい)鳥越先生の考察もご参照ください。

ところが、「百踏揚」は尚泰久王の姫で、勝連城主の阿麻和利に嫁いだ人である。しかし本歌は具志川間切のオモロを集録したものの一つである。そうした関係から考えると、本歌の作られたのは具志川城であるが、太郎は勝連城主か、その長男を指し、百踏揚もついて行ったのであろうか。具志川間切は勝連間切に接し、勝連城から一番近い城が具志川城である。覇者として名高い勝連城主が、近接する具志川城と血縁的に結ばれていたであろうことは考えられるのである。

「女官御双紙」には「先国王尚泰久尊君の御姫勝連按司阿摩和利の室」と明記されてますので、その記述を頼りにすると鳥越先生のような解釈になるのもやむを得ないのですが、ここは単純に具志川城にも「ももとふみあかり」の聖名を持つ女神官が所属し、具志川按司の息子(たらもい)の帰城を喜んだ様子を唄ったオモロと解釈したほうがすっきりします。つまり、「おもろさうし」の解釈に際し、18世紀に編纂された

「女官御双紙」の記述を絶対視する必要はどこにもないのです。

ももとふみあかり(百踏揚)が登場するオモロは多数ありますが、上記引用のオモロ以外はいかにも「神託」といった詩的構成になっていて、そしてそのオモロに登場する彼女は例外なく “王族のふみあかり” です。それゆえに具志川城のオモロに登場する女性は(詩的構成が全く違うが故に)王族のふみあかりとは別人と判断できたのですが、次回はブログ主が衝撃を受けた王族のふみあかりに関するオモロを紹介します。