今回から阿麻和利に絡み、数回にわたってももとふみあかり(百踏揚)について考察します。彼女は阿麻和利の正室として知られていますが、ブログ主が「おもろさうし」に登場するももとふみあかりを調べてみたところ、彼女ほどイメージが二転三転した存在はいません。
ハッキリ言って巷に流布されている彼女のイメージは、18世紀の史料を元に背びれに尾びれが付きまくった状態と見てよく、かえって実像が見えなくなっている感が非常に強いです。それ故に使う史料を「おもろさうし」に限定し、必要に応じて18世紀以降の史料を引用しつつ、彼女のイメージを再構築していきます。
先ずは鳥越憲三郎著「おもろさうし全釈」から「ももとふみあかり」の語源について考察すると
・ももと〔mumutu:ムムトゥ〕 百年、長い年月
・ふみ〔fumi:フミ〕(踏むの連用形)力強く歩む、足をのせておく
・あかり〔?agai:ア”ガイ〕 上がる(優れている)の名詞形
・ふみ+あかり〔fumi?agai:フミア”ガイ〕 強くすぐれる
となり、「長年強く優れた(もの)」になりますが、これでは分ったようなわからないような感に陥ります。そこでヒントとして島尻地方に伝わるオモロをご参照ください。
(12の68)うらおそいふし
一 せやろ、くにおそい、おゑさと、もり、おれわちへ、もゝと、あかり、ふみあかて、ちやうわれ
又 けある、くにおそいよ
又 けよのよかるひに
又 けよのきやかるひに
又 なおり世は、さたけて
又 あまへ世は、したけて
(12の68)浦添節
一 筋、遣る国襲、上里森、降りわして、百年、上がり、踏み上がって千代わされい
又 気、遣る国襲よ、
又 今日の良かる日に、
又 今日の佳かる日に、
又 直り世は先駆けて、
又 歓え世は尻駆けて、
鳥越先生の解釈は「①霊力をつかわす国襲(女神官名)よ、(喜屋武間切上里村にある)上里森に天から降りていらっしゃって、城主はいく年もすぐれ、強くすぐれて千代にいましませよ。③④今日というめでたい日に、……⑤⑥正しく改まった時代は先に進み、よろこばしい御代は後となって進んで、……」となり、女神官が権力者である城主を讃えた内容であることが分かります。
このオモロから推測するに、ももとふみあかりとは「幾年に渡って(国を統治する)強く優れた(霊)力を授ける」を意味する聖名と解釈できます。そして「おもろさうし」に登場するももとふみあかりを調べてみると、その聖名が島尻地方を中心に高級女神官名として広く使用されていた可能性が否定できないのです。つまりももとふみあかりは特定個人を指す呼称でなく、古りうきう時代には複数存在していたのです。
もちろん今回問題にしているのは、”王族のももとふみあかり” になりますが、次回はももとふみあかりと島尻地方とのかかわりについて言及します(続く)。