今回は、ももとふみあかりに関する人物として尚泰久王(1415~1460)の “謎” について考察します。彼は定説によると尚巴志(1372~1439)の五男で、越来の按司から第6代のりうきう国王に即位した人物です。そしてももとふみあかりの実父としても知られていますが、彼にはこれまで解せなかった謎があります。それは神號が2つあることです。
東恩納寛惇先生の「琉球人名考/王の神号」によると、尚泰久王には「那之志与茂伊(Nanushiyumi)」と「大世主(Ufuyunushi)」との2つの神號があります。そしてそれらの呼称について、寛惇先生は「支配権に関するもの」と解釈され、
那之志、大世主、西之世主
「ウフヌシ」、「ヨノヌシ」、「ナヌシ」等は支配者の意味に用ひられ、君又は神の意にも用ひられる。宜威王を西之世主と云ふは、もと越来間切を支配して居たからであらう。先島の童名に「ヨノシ」と云ふのがあるが、恐らくは同根の語であらう。
との説明があります。事実、「中城越来のおもろ」に越来城の城主の「聖名」としてよのぬし〔jununuusi:ユヌヌゥシ〕との呼称が散見されるので、尚泰久王は越来に所縁のある人物であることは間違いありません。ただし寛惇先生の説明では「なのし(那之志)」について何かすっきりしない感があります。
ちなみに「那之志与茂伊」はあくまで「当て字」なので、ひらがな表記に直すと「なのしよ・もい」、そして「もい」は「前(mee、あるいはmii)」であることがわかります。そうなると「なのしよ様」になるので、「なのしよ」が何を意味するかを特定していけばいいわけです。
当初は「なのし」は主(nuusi)と想定し、「よ」は「世(ju)」であることがほぼ確定なので、なのしよもいは「(主世様)nussi・ju・mee」と推測しましたが、これまたすっきりしない結果となり却下。そこで「の」は「お」の誤記であると認め、「なおしよもい」が正しい聖名であると仮定すると、
なおし・よ・もい〔ノーチユミー:noo・ci・ju・mee〕
となり、「直し世様(直すの連用形である直し+世(名詞)+様(尊称の接尾語)」、つまり「世の中を正しく治めるお方」になります。そして尚泰久王の時代はりうきうに本格的に仏教が到来した時代なので、(彼の仏教狂いを鑑みると)この解釈のほうがすっきりきます。
「球陽」によると彼が即位する前に王位継承に関わるトラブルで王族同士が戦い共に死亡、そして首里城が炎上、しかも明国から齎された王印が融けてしまうとの大不祥事が発生しています。それゆえに尚泰久王が百果報事(高級神女官たちによる王位継承の儀式)の際に「なおしよもい(直し世様)」の聖名を賜り、仏の力をもって国を再建し、そして王家の安泰を図ろうとしたと考えてもいいのかもしれません。
ただし尚泰久王の不幸は、即位して数年で亡くなってしまったことです。少なくとも20年ぐらい生きて居れば、第一尚氏中興の祖として
『おもろさうし』に「なおしよもい」を讃えるオモロが満載された
こと間違いないのですが、残念ながら子孫は(以下略)。
少し話がそれましたが、次回はももとふみあかりの謎について再開します。