6月22日から絶賛開催中の第106回全国高等学校野球選手権沖縄大会(以下夏の沖縄大会)も終わり、高校野球の熱狂から少しづつ冷めつつあるブログ主ですが、今月から(試験的に)定期連載として「阿麻和利」に関する記事の配信を行います。
「古琉球」の分野は、伊波普猷先生以降(人気分野ゆえに)我が沖縄では語りつくされている感があり、当ブログでは積極的に取り上げてきませんでしたが、数年前から「おもろさうし」を写本しているうちに阿麻和利の存在に極めて興味を抱くようになりました。というのも通説の阿麻和利と「おもろさうし巻16」に登場する「あまわり」との “落差” に気が付かされたからです。
現代の沖縄に定着している阿麻和利のイメージに極めて大きな影響を与えたのは伊波普猷先生の「阿麻和利考」です。ただしブログ主が「おもろさうし巻16 / 勝連具志川おもろの御さうし」の中の勝連に関する28のオモロを通読した際に、伊波先生の解釈に一部疑問を覚えざるを得ませんでした。
大雑把に説明すると、夏姓家譜(夏徳庸湛水親方賢忠)以降の史料、そして伊波先生の「阿麻和利考」から現在に至るまで、阿麻和利の名称は特定個人、かつ(おそらく)俗名として扱われています。そして「おもろさうし」の写本においてブログ主が最も参照している「おもろさうし全釈」(鳥越憲三郎著)においても鳥越先生は阿麻和利を特定個人として言及していますし、現代版組踊「肝高の阿麻和利」もその前提で劇が構成されています。
それに対してブログ主は、“あまわり” の呼称を勝連半島の権力者の「聖名」と捉え、必ずしも特定個人とは断言できないとの立場をとっています。具体的には勝連半島の祭儀において女神官や詩人(口正しさある者)が権力者を讃える際にもちいた伝統的な呼称であると考えています。そして伝統的な呼称なので、特定個人ではなく、歴代の権力者たちに引き継がれた聖なる名称の可能性が否定できないのです。
今回は長期の連載を予定していますが、そのために用いる史料は「おもろさうし巻16 / 勝連具志川おもろの御さうし」の勝連に関する28のオモロ、その全部をブログ主の解釈をつけて公開します。あと必要に応じて古代権力者に関するオモロや「夏氏家譜」の大城賢勇や百踏揚(ももとふみあがり)などのエピソードを交えながら、毎週金曜日(あるいは土曜日)に記事を配信していく予定ですので、古琉球好きの読者の皆さん、是非ご参照ください。