阿麻和利の謎 – 勝連按司(1)

今回からは勝連城の城主こと按司〔?aNzi:ア”ンジ〕について言及しますが、その前に17世紀以前のりうきう社会において為政者たちから最も意識された「王」について説明します。

以前にブログ主は「歴史の用語」と題した記事を配信しましたが、その中で「かたのはな碑」について少し触れました。改めて引用すると「大りうきう国中山王尚清は、そんとんより、このかた、21代の王の御位を、つきめしよわちへ、天より王の御名をは、天つき王にせと、さつけ、めしよわちへ、御いわひ事かきりなし」とあり、そんとん〔suNtiN:シュンティン〕が初代国王として認識されています。だがしかし、実際に王たちが強く意識していたのは英祖王なのです。その傍証として下記オモロをご参照ください。

一 あまみきよは、大島をば造って、八千代、恵祖根屋末、御近もいに、みお遣らせ。

又 しねり子は、大島をば(一節二行目から折返)

鳥越先生の解釈は「あまみきよ神は、わが国をば造って八千代に、日神の子孫である尚真王(御近もい)に差し上げます」となり、さらに先生は「恵祖根屋末」について詳しく言及しています。

恵祖根屋末は日神の家の子孫である。恵祖根屋の原義は恵祖(=伊祖)の人または家の意で、英祖王の祖先である。英祖王の母が日輪を夢見て王を生んだことから王の名は日神の称であるてだこ〔tidaku:ティダク〕という聖名をつけた。英祖王の祖先を「日神の家柄」という意で示すようになったものである。この語の用例は多い。

参考までにゑそにやすゑ(恵祖根屋末)は〔?iizu・nii・jaa・şii:イーズ・ニー・ヤー・スイー※〕と読み、直訳すると「伊祖の草分けの家の末裔」になります。もちろん伊祖の草分けの家とは英祖の先祖を指しますから、恵祖根屋末とは「日神の末裔」と解釈できるのです。

は下に点がつきzuは「ズ」と発音します。ちなみに下に点のつかないzの場合、zuは「ジュ」と発音します。

興味深いことに、「おもろさうし」にはブログ主が確認した限り、初代国王のそんとんを指すオモロ用語が見当たらないのです。いつ頃からそんとん(尊敦)が初代国王として認知されたかは定かではありませんが、少なくとも17世紀以前のりうきうでは英祖の方が権力者たちに意識されていたのは間違いありません。それを踏まえた上で、勝連按司について考察しますが、実は勝連按司も「恵祖根屋末」なんです。(続き)

【追記】わがりうきうにおいて地上を治める為政者が何時から日神の末裔を名乗るようになったのか、今となっては特定することは不可能ですが、少なくとも13世紀末にヤマトから来沖した「仏僧」たちが極めて重要な役割を果たしたと考えられます。