前回の記事で、かつれんの方言読み(カッチン)から、ブログ主なりに語源を考察してみましたが、実際に勝連城跡を訪れた際に、謎があっさり解けた感を覚えました。確かにあの場所は「古りうきうの住民たちにとって神の恵みを実感できるところ」で間違いないのです。
結論を先に申し上げると、村落共同体にとって最も重要なインフラである「水資源」、しかも良質の水が豊富にある場所、それが「かつれん」の正体なのです。ちなみに古代のりうきう社会には堀井戸はなく、それ故にかー(湧泉)の存在がどれほど貴重か、試しに以下引用のオモロをご参照ください。
(二ノ九)おもろ件が節
一 聞え中城、泉清水、出だして、上下の下司の 見てぞ羨み居る。
又 響む中城、(一節二行目から折返)
【解釈】①②名高く鳴りひびく中城の城よ、泉の澄んだ水を湧き出して、全島の役人がながめて、実に羨ましく思っていることだ。
(二ノ二九)阿嘉犬子が船立てばが節
一 安谷屋の泉清水、百太郎の 羨む清水。
又 肝崇みの泉清水、(一節三行目から折返)
【解釈】①②心から尊び敬う安谷屋城の泉に湧く澄んだ水は、諸城主が見ても感心して自分がそうあってほしいと思うほどの泉だ。
上記は中城のオモロですが、勝連も事情は同じで、その傍証として城跡には「かー」の遺跡が複数散見されます。
ただし、勇泉は地域住民に恵だけではなく、災いももたらします。理由は簡単で村落共同体間、あるいは按司の間で「かー」の奪い合いがあったのは間違いなく、その傍証として比嘉春潮著「沖縄の歴史」の「16 按司時代の社会」の一節によると、古代りうきう社会には100前後の石城、南部(島尻地方)だけでも60近くのグスク※が建てられているのです。
※古りうきうの中心は南部であった傍証でもあります。
つまり、古代のりうきう社会は水資源を巡っての争いがものすごく激しかったわけであり、そして勝連城跡もかつては聖地、そして防災としての2つの役割を持っていたことが分かります。
次回は勝連の地名に関して、対語であるきむたか(肝高)について言及します。