前回の記事で、琉球新報社の伝統は社員たちのエリート意識にあることを説明しました。ここでのエリートとは、現在の学歴エリートやスポーツエリートの意味ではなく、「自分は使命を全うするために生まれてきた」ことを自覚した人のことを指します。言わば太田朝敷氏らの初期の琉球新報の社員たちは、日清戦争の結果後にエリートとして生きることを宿命つけられたのです。
ではその使命とは何か?それは「沖縄県人は今後日本人として生きる。我々はその先導役であり、他府県人の沖縄県人に対する差別意識を解消するために尽力する義務がある。」との考え方です。この基本思想は常に琉球新報の論説に反映されることになり、そして言論の力を以って沖縄の近代化に大きく貢献することになります。
戦前の琉球新報の特徴のひとつに、優秀なジャーナリストを数多く輩出したことが挙げられます。太田朝敷先生がその代表格ですが、他にも当真嗣合(とうま・しごう)、末吉麦門冬(すえよし・ばくもんとう)、又吉康和(またよし・こうわ)らのすぐれた人材を世に送り出します。なぜ数多くの優れた新聞人を生み出すことができたのか、その答えは琉球新報社の社風にあり、それを体現している太田朝敷氏の圧倒的な影響力があったからです。
今日の琉球新報の問題は、戦前の良き伝統を完全に継承していない点に尽きます。具体的に戦後の琉球新報社の再建に尽力した又吉康和氏が急逝してしまったことで、かつての社風を再構築できなかったことです。彼が社長の座について社の再建に取り組んだのはわずかに1年程度で、余りにも早すぎる死です。さすがにこの短い期間でかつての伝統を復活させることは無理です。
むしろ大日本帝国時代の琉球新報社の伝統は、沖縄タイムス社のほうに受け継がれたと言っても過言ではありません。たしかに論説はかつての新報社とまったく違いますが、太田朝敷→当真嗣合→高嶺朝光の系譜でエリートの意識が見事なまでに継承されているのです。それ故に琉球新報社の沖縄タイムスに対するコンプレックスは(絶対に認めはしませんが)実に根強いものがあります。今日の琉球新報の論説は、沖縄タイムスと何ら変わりなく、二番煎じの感すらありますが、戦後の新報社の歩んだ歴史を振り返るとさもありなんと思わざるを得ません。(続く)
【関連項目】
琉球新報ほか沖縄のマスコミ関連の資料 http://www.ayirom-uji-2016.com/ryukyu-shimpo-and-other-materials-related-to-mass-media-in-okinawa