公同会運動の顛末 琉球新報社が果たした役割 その3

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今回はついでと言っては何ですが、沖縄タイムスの変遷について掲載します。県下最大の新聞社ですが、現在では何かと評判がよろしくありません。若い世代からはその論調が目の敵にされている傾向すらありますが、沖縄タイムスの出自を振り返ると、納得できる所もありますので、ブログ主が調子に乗って社の変遷を説明します。

沖縄タイムスは1948年(昭和23)7月1日に創設されます。設立時のメンバーは戦前の「沖縄朝日新聞」のメンバーを中心にスタートしますが、琉球新報との違いは

1.大日本帝国時代の沖縄朝日新聞の社風を引き継いだこと。

2.最初から一般紙を志向して会社が設立されたこと。

になります。琉球新報は戦前・戦後ともに「機関紙」からのスタートなので、その違いが鮮明ですが、では沖縄朝日新聞の社風とは何か?それは

1.沖縄朝日新聞は、琉球新報内の幹部間の政争に嫌気がさした若手記者たちが中心となって、1915年(大正4)に設立されたこと。

2.社内政争の理由は立憲政友会と憲政会の対立が、当時社会的勢力の中心だった首里門閥の内紛を引き起こし、その余波が琉球新報社にも波及したためで、そのため沖縄朝日新聞は、尚順男爵を中心とした首里門閥を打破する目的で創設されたこと。

3.それ故に、沖縄朝日新聞は既存の権威や社会的勢力に対しては批判的で、その論調が大衆に受け入れれたこと。

になります。沖縄タイムスは既存の権力や社会的勢力に対して距離を置く姿勢が明確ですが、その社風はかつての沖縄朝日新聞の伝統を引き継いだからなのです。

現代の沖縄タイムスのスタイルは、初代社長の高嶺朝光(たかみね・ちょうこう)氏(1885~1977)によって築き上げられたと言っても過言ではありません。高嶺氏は1923年に沖縄朝日新聞に奉職して以来、一貫してジャーナリズムの世界に身を置いた人物で、戦後沖縄を代表する新聞人です。前述した又吉康和氏との違いは、高嶺氏は沖縄タイムスを創設して、其の後長きにわたって社長を務めるのですが、又吉氏は琉球新報社を再建後に間もなく急逝してしまうのです。

それ故に琉球新報社は戦前の社風を完全に受け継ぐことができず、沖縄タイムスは沖縄朝日新聞の伝統を引き継いで新聞社として発展します。実はそのことが琉球新報社の沖縄タイムス社に対するコンプレックスになっているのですが、現代ではその社風が足かせになってしまい、残念ながら沖縄タイムスに対するアンチを増加させてしまっていることが否定できないのです。(続く)


【関連項目】

琉球新報ほか沖縄のマスコミ関連の資料 http://www.ayirom-uji-2016.com/ryukyu-shimpo-and-other-materials-related-to-mass-media-in-okinawa

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