前回の記事において、琉球沖縄の歴史では遂に尚家の存在を絶対化するイデオロギーが誕生しなかった件を指摘しました。よく考えると当たり前のことで、1609年(慶長14)の慶長の役の敗戦の結果、戦勝国である薩摩藩の要請で、王家が存続された歴史がある以上、そんな都合のいい基本思想が生まれる訳ありません。
日本の歴史のなかで、幕末の時代に武士階級に最も読まれた書籍は「靖献遺言」です。1748年(寛延元年)に刊行されたこの本は、幕末の世において驚異的なベストセラーとなり、維新の志士たちの行動様式に極めて大きな影響を及ぼします。内容は極めて強烈で、端的に言うと〈革命の否定〉と〈義のために殉ずる〉エピソードのオンパレードです。こんな本を愛読した連中が、結果として明治維新を成し遂げたのも納得の一冊です。
琉球王国の歴史において、階層の垣根を越えて読まれた書物は何かを考えると、四書五経は別格としても、おそらく蔡温の「御教条」で間違いないでしょう。ただし「御教条」は一種の啓蒙書であって、「靖献遺言」のような強烈なイデオロギー色はまったくありません。しかも第二尚氏の初代国王尚円(内間金丸)も、先王である尚徳王をクーデターで追い払った簒奪者ですから、琉球社会において靖献遺言や崎門の学のように〈湯武革命論を否定〉する論理から尚家の支配を絶対化するイデオロギーができるわけありません。
すこし話がそれましたが、公同会運動の致命的な欠点は、沖縄社会において尚家の支配を絶対化する基本思想なしに活動を展開した点です。いわば運動に確固たる「芯」がない状態で開化党や頑固党が結束したために、新知識人でも謝花昇一派や、在京の留学生、および沖縄一中に在学している若い世代からは運動そのものが旧体制の復権行為、つまり「不純」とみなされて完全にそっぽを向かれてしまったのです。
公同会運動の失敗の教訓は、現代においても極めて有益です。市民活動であれ、政治活動であれ、成功するための必要条件は
・活動団体内において確固たる運動目的、および思想があり、その基本思想が社会階層や世代を超えて幅広く支持されるものであること。
・活動団体、および人員の行動に対しては不純な要素を排除しなければならないこと。
の2点で間違いないです。それ故に近年においてSEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)の活動が最後には失敗に終わったのも納得です。彼らの行動には「誰かがお膳立てした感」がどうしても否定できず、その基本思想も世代間を越えて支持されるものではなく、不純な要素がありありの点が同世代の若者から忌み嫌われたため、活動そのものが失敗に終わったことは疑いの余地がありません。(続く)