公同会運動の顛末 頑固党とオールおきなわ その3

前回の記事はすこしキツい内容になりましたが、歴史を振り返って現代のオールおきなわ(旧革新勢力)の行く末を考えると、答えはただ一つ「没落」しかありえません。理由は彼らの思想・心情を後世の沖縄県民が引き継ぐとはとても思えないからです。

その前に「没落」の意味を説明します。公同会事件後(1896~1897)に頑固党は沖縄社会における影響力を完全に失います。彼らの家禄は1910年(明治43)まで明治政府が保証したため*生活に困ることはありませんでした。ただし琉球士族のプライドは粉々に砕け散り、頑固党の子孫はすべて日本人になることで士族の伝統は完全に断ち切られることになったのです。(例外は尚家)

*たとえば脱清人として有名な幸地朝常の妻は首里に住んでいましたが、彼女の家禄は明治政府が保証していました。月に14円程度の支給があり、1910年(明治43)の秩禄処分時には4万円の支給があったそうです。 

琉球王国時代の士族にとって最も大切なものは出自です。言い換えると系図になりますが、廃藩置県後は出自は全く意味を持たなくなります。たとえ王族であっても、日本人と同じ服装をして、日本式の教育を受けないと社会的な影響力は確保できません。そしてそのことを頑固党の子孫たちが実践したことで、琉球士族の伝統は完全に消え去ります。これが本当の没落で、実際に昭和にはいると士族出身の事実だけでは沖縄社会に於いて全く影響力を行使できなくなったのです。

現代のオールおきなわの思想・心情はブログ主が思うには下記2点です。

1・沖縄は1609年(慶長14)の薩摩入り後、現代に至るまでずっと差別されてきた。

2・日本人は第二次世界大戦の敗戦国民であり、決して冷戦の勝利者ではない。

これらの思想・心情が現代の沖縄県民の次世代にすんなりと受け継がれるのかと問われると、No!と答えざるを得ません。現代の沖縄県民の10代や20代は、本土に対する被差別意識は皆無で、しかも自分たちは冷戦の勝者と意識しています。そして近い将来に起こる東アジアの冷戦の終結において、オールおきなわの人たちを支えるイデオロギーは完全に意味を失い、後世に引き継がれる可能性はゼロになること間違いないのです。

公同会事件において1つ評価できることがあります。それは運動の失敗後に頑固党が静かに没落してくれたことです。この件は本当にありがたいのですが、さてと現代の旧革新勢力はどうでしょうか。思想信条の変更は食生活の改善よりもはるかに困難で、ほとんど不可能とも言えます。そのためオールおきなわの皆さんも将来は黙って余生を送ることを切に願いますが、はたして名誉欲では旧士族以上の彼等が大人しく没落してくれるのか、ブログ主はこの点をすごく心配しているのです。(続く)

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