琉球藩の時代 その13

手形入れの慣習は琉球・沖縄の歴史のなかで最悪な搾取と言っても間違いありません。前回述べた通りこの慣習の欠点はあらかじめ定められた買い取り価格が安すぎることです。しかもその買い取り価格が分かっているだけでも200年近く改訂されていないのです。

羽地朝秀の摂政の時代(1666~1673)に一部の買い取り価格を値上げした記録がありますが、それ以外は価格改定の記録は見当たりません。百姓たちは当初に設定された定代で調達した物資を地頭階級に販売せざるを得なかったのです。

*市場価格で物資を調達して定代で地頭階級に販売すると損失が発生します。その損失は村内の百姓が均等に負担します。これを統並と呼びます。 

こんな慣習がまかり通ったら経済発展はおろか農村が疲弊するのも無理はないのです。すでに17世紀中盤から農村疲れが問題になっているにも関わらず手形入れの慣習は継続されたのです。蔡温(1682~1762)ですらこの制度には手を付けることができません。まさに聖域です。

この制度は薩摩藩の貢租とはまったく無関係で琉球王府独自の慣習です。それだけに悪質さがひときわ目立ちます。だから後世の歴史家がこの悪慣習は記載したがらないのです*(続く)。

*手形入れの慣習を詳細に記述すると「琉球民族は薩摩藩の侵略以来400年間ずっと差別され続けてきた」との歴史のグランドデザインが成り立たちません。現代の沖縄の歴史家にとっては極めて不都合な歴史的事実なのです。

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