~廃藩置県が現代の歴史家に過小評価されている3つの理由 その3~
3つ目の理由は沖縄県人の手で琉球王国時代の負の遺産の解消ができなかったからです。自分たちの手で改革ができなかったコンプレックスは想像以上に強力で、現代でもこの劣等感か解消されているとは言えません。
明治政府が行った空前絶後の改革は、実は沖縄県出身の若手の優秀な官吏の働きも大きな役割をはたしますが、やはり改革の主体は明治政府を中心とした県外人です。明治時代の沖縄県庁の官吏はほとんどが県外人で占められていて沖縄県出身者は2割程度しか勤務していませんでした。(そのうち県外人における鹿児島県出身者の割合は2~3割程度でした)。
しかも高等官はほとんど県外人で占められていたため、当時の沖縄県人は大きな劣等感を感じざるを得なかったのです。
明治維新のおける改革の主体は下級武士です。日本人自らの手で政治や社会制度の改革を行い、その結果日清・日露の二大戦役に勝利する大成果を上げます。それに対して沖縄県は琉球王国の負の遺産を琉球人(廃藩置県後は沖縄県人)の手で解消する機会がありませんでした。明治政府が行った政治・社会制度の改革は後の沖縄県にとって大きなプラスになるのですが、やはり「自分たちの改革ができなかった劣等感」は現代の沖縄県民の行動様式に影響を及ぼしていると考えざるを得ません。
特にアメリカ軍の占領行政を経験した世代(60代以降)は、自分たちの手だけで県政を運営したという願望が本当に強いです。さすがに琉球独立論者は極めて少数ですが、「うちなーのことはうちなーんちゅが決める」というオールおきなわ(旧革新勢力)のスローガンには実は歴史的に起因する劣等感が隠されているのです(続く)。