これまで長々と、明治8年(1875)5月29日の明治政府の御達書に対する松田道之と琉球藩(交渉役は主に三司官が担当)について言及しました。なぜこれ程惨い交渉になったかと言えば、国王尚泰の決断力のなさが最大の原因であることは間違いありません。補足として琉球藩の行政組織は下図をご参考ください。
大雑把に言えば、各部署で審議した内容を摂政・三司官に上申し、摂政・三司官が決定、国王裁決を仰ぐ案件は摂政から国王に上奏するという流れです。平時であれば問題ないのですが、今回は三司官が意思決定できない異常事態が発生しています。そうなると最高責任者である国王の政治決断が重要になるのですが、その国王が心身を病んでしまって王宮内に閉じこもってしまったのです。ちなみに国王尚泰の診断書も全文記載します。
内務大丞 松田道方殿
藩王素稟心膽気弱、屢服天王補心丹帰脾湯等之方調養、近来思慮過度、性情抑鬱不暢、本年五月因事大驚、卒然胸塞絶食両天、到第三天欲強食妨碍胸隔嚥不下、吐不出、唯飲冷水茶湯等、恰如曀●之症、識是憂鬱之気結、于胸臆、聚而成痰、膠固上焦、道路狭窄不能轉寛之所致也、乃用解鬱化痰薬稍得効、然経四十餘日飲食未進、有時驚悸怔忡、夜臥不安、尚雖用補血養心之方以調養未見急癒焉、
七月 医師 渡嘉敷親雲上 通睦
譜久島親雲上 全彬
意訳すれば元々体調が芳しくない(鬱気あり)→御達書を見て極度の食欲不振に陥る→現時点で容態が急回復する見込みなしになりましょうか。最高権力者の病欠により政治決断ができない状況が対日交渉を極めて悪くしてしまったのです。しかも首里城で無用の騒動を起こして、明治政府の御達書を御請けする使者を監禁した士族たちや、東京において二枚舌交渉を展開した池城親方等は何の責任も取らされていないのです。
最高権力者の病欠リタイアが、琉球藩の統治機構の機能不全を起こし、最終的には廃藩置県になってしまうという恐ろしい事態が現実に起こってしまったのです。だからブログ主は国王尚泰のことを「最低の政治家」と評するのです。国王尚泰の政治家としてのキャリアを振り返ると同情せざるを得ない部分があるのですが、それでも「教養豊かで英邁も、いざというときに病欠リタイアで政治決断が下せない人物」を評価することはできません。そのような人物が琉球藩のトップに君臨していたことが最大の不幸なのです。
最後に明治12年の琉球処分を「国際法違反」として批判する論調があります。ブログ主は国際法については無知なので、何が違反しているかはよく分かりませんが、そのように批判している人はもしかして国王尚泰や当時の三司官と同じレベルの人種なのでしょうか。具体的には「学歴があり、社会的地位もあって教養豊かでもいざという時に役にたたない」ということです。ブログ主の思い過ごしであって欲しいと切に願います。(終わり)