今日たまたまFacebook の投稿で下記のような書き込みを見つけました。
(中略)侵略した側が正しいみたいなのは、もう古い認識じゃないですかね?第一、小さい琉球が武力を持っていたとして、日本、中国、などに勝つことはできなかったでしょう。戦争などしたら、それこそ全滅ですよ。だから我々の御先祖は賢く外交、友好で国を栄えさせる道を選んだのだからそれは、評価されるべきものだと思います。
詳細な説明は省きますが、1609年の慶長の役、および1879年の廃藩置県(琉球処分)における議論の中で見つけたものです。この投稿で気になったのは「だから我々のご先祖は賢く外交、友好で国を栄えさせる道を選んだのだから」の部分です。
ブログ主はサボリ気味だった河原田盛美著『琉球紀行』の資料まとめ中、たまたま1875年の松田道之と当時の琉球藩の三司官のやり取りを調べていましたので、果たしてご先祖さまは本当に「賢く外交、友好で国を栄えさせる道を選んだのか」に興味があってちょっとばかり調べてみました。
古今東西の外交において武力解決は最後の手段なので、ご先祖さまに限らずどの国も「賢く外交、友好で国を栄えさせる道」を選択します。理由は簡単で武力解決には途方も無く金と手間がかかるからです。だから武力行使なんてやらないほうが権力者にとっても楽ではあります。ただし外交の手段の一つとして「武力行使」の選択肢がないと、交渉の場において相手に譲歩せざるを得ない状況に陥ってしまう可能性もあります。
琉球・沖縄の歴史における外交は、薩摩入り前と後でだいぶ様相がかわるのですが、今回は1482年から計13回派遣された琉球国と島津家の外交(琉球紋船派遣)、および幕末におけるアメリカ、フランス、そして明治政府との外交交渉について調子に乗って考察していきます。(続く)