先日ブログ主は『犯罪実話物語 沖縄警察五十年の流れ』(比嘉清哲著、平成9年刊行)および『大人の国のための戦争学』(日下公人著、2002年刊行)を読んでいた際に、実に奇妙な一致点を見つけましたので紹介します。
フランスの人口学者ガストン・ブートゥール氏が唱える「戦争の唯一の原因は人口問題だ」という説に対して、日下先生が実際に検証をして、「15歳から25歳の若者が全人口に占める比率が15パーセントを超えると、その国は戦争をするのである。何らかの理由で10パーセント以下に下がると、戦争は止む」との仮説を述べられています。我が沖縄県は昭和20年(1945)の沖縄戦の終結以来、現在に至るまで熱い戦争の経験はありません。ただし15歳から25歳の若者人口が全人口の15パーセントを超えた時期はあって、実はその際に暴力団の大抗争が発生しています。たとえばデータを確認した平成2年(1990)を見ると、
15~19歳 105,362人
20~24歳 78,605人
全人口 1,222,398人
15歳から24歳の人口 183,967人を全人口で割ると、0.1504で、全人口比15%を少しだけ超えています。この時に三代目旭琉会の分裂騒動を端とする第六次暴力団抗争が始まり、警察官や一般市民にまで犠牲者が及ぶ悲惨な状況が発生しています。
ちなみに平成22年(2010)のデータを参照すると、
15~19歳 83,477人
20~24歳 76,546人
全人口 1,392,818人
15歳から24歳の人口 160,023人を全人口で割ると、0.1149で、平成2年に比べると全人口比に対する若者人口の割合が大幅に減少しています。10%を割ってはいないのですが、その翌年(平成23)には三代目旭琉会と沖縄旭琉会が合併して新しく旭琉會を立ち上げることで、20年にも渡る抗争に終止符を打つことになります。
単純に言えば、若者人口が増えると戦争勃発を含む物騒な社会的雰囲気になり、若者人口が減少すると社会は安定することになりましょうか。実際に下記のデータからたとえば昭和25年(1950)には15歳未満の人口が急増し、その20年後に当る昭和45年(1970)前後を境に物騒な事件が頻発しています。たとえばコザ暴動は昭和45年12月に発生し、昭和48年には第四次沖縄暴力団抗争が始まっています。ブログ主には偶然の一致とはとても思えないため、今回は人口の増減が社会に与えた役割について調子に乗りまくって考察します(続く)。