【衆院選2024】政治のトレンドが変わった件(2) 愛国保守の黄昏

今回から、令和の政治トレンドから外れるであろう「愛国保守」と「オール沖縄」について考察します。先に「愛国保守」について述べますが、彼らの存在をブログ主なりに定義すると、明治維新後に培われてきた “日本人の概念”“日本の価値観” を大切にしようという人のことで、現代社会では政治的に無視できない勢力を保っています。

彼らは平成3年(1991)のソビエト崩壊に伴う共産主義とそれに連なるイデオロギーに対するアンチテーゼとして誕生し、インターネットの普及も相まって若い世代に徐々に受け入れらるようになりますが、平成14年(2002)年9月の第1回日朝首脳会談において、北朝鮮側が日本人の拉致を認めたのがキッカケで、爆発的に支持が広まった感があります。

それに対していき場のなくなった昭和の “進歩的文化人” とそれに連なる人達が、愛国保守の反対勢力として「市民」を名乗るようになり、彼らの対立が20年近く続き現在に至っています。

つまり愛国保守は平成という時代が生み出した “産物” ですが、令和の今日において、彼らの存在が時代遅れになった感が否めません。

というのも「愛国保守」は昭和生まれ平成初期に10~20代を過ごし、現在の50前後のミドル世代が勢力の中心ですが、平成期に誕生した10~30代に彼らの “イデオロギー” が受け入れられているとは思えないからです。

まず国防の概念が違います。愛国保守の国防の概念は「日本の価値観を守るため」に尽きます。それ故に日本の価値観を “汚す” ものに対して彼らは嫌悪感を隠しません。昭和の進歩的文化人たちが大日本帝國に結びつくものに対して強い反発を示したようなものですが、実は現代の若い世代の国防意識は現実的な傾向が強く、つまりあくまでも「生活防衛のための国防」なんです。そしてその意識の中には「日本の価値観を守る」との概念が希薄なのは見逃せません。

理由は、平成以降の生れた世代が経験した “現実の危機” が令和2年(2020)に発生した「コロナ禍」であり、その経験から導きだされた教訓は、

1.社会の危機は予期せぬ形で国外からやってくるし、それは「他国の武力行使」とは限らない。

2.にも関わらずわが日本は、現行の制度で危機を乗り越えた。その象徴が令和3年に開催された東京オリンピック

となり、結果として「現代社会の秩序と制度」に対する自信が若い世代とミドル世代とでは全然違ってしまったのです。それ故に「日本が世界秩序の安定に貢献することが結果的に生活を守ることにつながる」との冷静な判断を持つ若手たちに対し、「ちうごくがー」や「目覚めよ日本」などと “架空の危機” を声高々に叫んでも

なに、あのおっさん(おばさん)?

という感じで華麗にスルーされているのが実情でしょう※。

※つまり国内外から何を言われようとも「日本」はびくともしないという強い自信が若い世代の特徴なのです。

今回の衆院選で、自民と公明が過半数割れし、愛国保守の象徴ともいえる日本保守党が政党要件を満たす議席数を獲得したならば、彼らはしばらくの間生きのこるでしょうか、ブログ主は彼らの存在は “先細り” すると予測しています。

最後に日本保守党について言及しますが、彼らは組織の存続のために “敵” を必要とします。それ故に国民政党になる資格がなく、令和の今日ではそれが致命的な弱点になります。実は、参政党も本質は同じであり、誤解を恐れずにハッキリ言うと、

関わらないほうがいい

との結論になります。愛国保守についてはここまでにして、次回はオール沖縄の今後について言及します。