既にご存じの読者も多いかと思われますが、今月27日に投開票の第50回衆議院議員総選挙(以下衆院選)の結果、沖縄1区で見事落選を果たした下地幹郎候補が正式に引退を発表しました。
彼は今回の選挙を「最後の戦い」と位置付け、そして落選後のインタビューで、「今回は政治が変わる分岐点と考えて最後の選挙と決めた。自分の決めたことだからもう政治は終わる」(沖縄タイムスより引用)と述べており、果たして「選挙公約」を実現するかが注目されます。
もちろん「ミキオは必ずやる!」が合言葉なので実行してもらわないと困りますが、それは置いといて、今回はまじめに彼がなぜ政治家として大成しなかったかについて考察します。
とはいっても答えは簡単、彼は
選挙の恨みを買い過ぎた
これに尽きます。ちなみに下地氏と自公との確執は第43回衆院選議員選挙以来、20年の年期が入ってますが、沖縄県の歴史上彼ほど「選挙の恨み」を買い続けた政治家はいません。なお、「選挙の恨み」は選挙制度に基づく近代デモクラシーにおける特筆特大のタブーであり、ブログ主が知る限り、「選挙の恨み」を買ったにもかかわらず復活した政治家は小渡三郎氏(1925~1988)※ぐらいしか思いつきません。故小渡氏ほどの大人物ですらかくの如し、ましてや下地氏が政治家として低空飛行を強いられたのも “むべなるかな” という感をすらあります。
※小渡三郎氏のやらかし(昭和43年の立法院議員選挙)については改めて後日紹介します。
でばなぜ選挙の恨みを買うことがタブーなのか。その理由は有権者から「自分の事しか考えない身勝手な政治家」と見做され、挙句の果てに「下流」に転落してしまうからです。ここで「下流」とは『論語』からの引用ですが、下記ご参照ください。
暴虐な暴君の代名詞になっている殷の紂王も、言わるほどにはひどくなかったようだ。はきだめに汚物が集まるように、衆悪がみな紂に集中したのだから、君子はそういう場所を避ける。そんな場所で一度悪評が立つと、天下の悪がみな帰せられてしまう。
子貢曰く、紂の不善は、是の如くこれ甚だしからざりしなり。是をもって君子は下流に居ることを悪む。天下の悪はみな帰すればなり(子張第十九491)
『論語の読み方 いま活かすべきこの人間知の宝庫』(山本七平著)186㌻より抜粋
2500年前に下地幹郎さんの出現を預言した子貢さんマジやべー
と思いつつ、我が沖縄の若手政治家たちは、政治家が下流に留まることの恐ろしさを下地氏の生きざまから学んでほしいと痛感する次第であります。
もう一つ指摘しておきたいのが、現代社会は「下流に留まる政治家」が一定の社会的勢力を保ち続ける欠陥を抱えています。だがしかし、これは「民主主義の失敗」と割り切るしかありません。多少の時間はかかりますが「社会の復元力」に信を置いて、下流のリーダーたちを辛抱強く取り除くしか方法がありません。下地氏の引退がその一助のなることを切望しつつ今回の記事を終えます。
【追記】なお南城市と宜野湾市にも、今後「下流」に転落しそうな県議が見受けられますが、それは生暖かく見守ることにします。