□音楽の現状とルーツ こういうアメリカの若者を相手にしているから、ロックをやっていると、アメリカでは音楽のどこを大事にしているということがすぐダイレクトに伝わるし、そういう基本的なものがわかってくると、こことこことここの三つを大事にすればだいたいのものは、あとは時間が経てばマスターできるものだというのがわかるんです。これを見失って枝葉だけのものを仕上げていっても、アメリカでは通用しないというのが実状です。
時代遅れになった “愛国保守”
先月28日に投開票が行われ、そしていろいろと物議を醸した「令和06年度衆議院東京15区補欠選挙」はご存じのとおり酒井菜摘候補(立憲民主党)が大差をつけて初めての当選を果たしました。
尚泰候の決断 – 番外編
これまで「尚泰候の決断」と題して、真面目な歴史記事を4回に分けて配信しましたが、今回は番外編としてりうきうの王家・王族、そして上級士族の一大特徴である “二重思考” について言及します。
尚泰候の決断 その4
(続き)前回までに尚泰候の藩王時代の騒動についてやや詳しく説明しましたが、その出来事によって彼が決断できない “為政者” に成り下がった件を理解いただいた上で、明治29年(1896)の “決断” にいたった背景についてブログ主なりに言及します。
新境地
先月、当ブログにてセニョール・ターコのタコライスを紹介しましたが、マヨネーズが投入されたタコライスが“しに美味かった” ので、今回は別店舗のタコライスで試してみようと思いつき、我が宜野湾のキングタコス長田店のタコライス(チーズ野菜)をテイクアウトしてきました。
尚泰候の決断 その3
(続き)明治8年(1875)年9月7日(新暦)、明治政府、とくに来琉した松田道之との交渉過程で「事ここに至っては」の状況であると判断した藩王尚泰は、三司官に対し明治政府からの「御達書」を遵奉する旨を伝え、三司官側からも特に反対意見がなかったため、那覇へ使者を遣わす手はずを整えるよう命じます。
この日の騒動については「琉球見聞録」と「尚泰候実録」では一部記述が異なる部分はありますが、ブログ主なりにまとめてみると、
尚泰候の決断 その2
(続き)今回は尚泰候の決断について、予備知識として藩王時代の明治8年(1875)9月(新暦)の騒動について言及します。彼は有事の際に断固たる判断ができない為政者のイメージが強いのですが、実は例外的に “決断” を下したが故に酷い目に遭いかけた痛い過去があるのです。
その後の藩王は廃藩置県の明治12年(1879)まで毛利敬親の如く “そうせい候” の状態になってしまいますが、ブログ主はそれ故に明治29年(1896)の「断固たる決断」には強い違和感を覚えるのです。
尚泰候の決断 その1
先日ブログ主は過去記事をチェックした際に、史料の読み違いによる記述ミスに気が付いたので、その点についての説明と、それに関して “尚泰候の決断” と題した新たな記事を公開します。
ロックとコザ(1994)川満勝弘(愛称:カッちゃん)編 – その30
(続き)また、むこうはまともな英語で沖縄へ来たんですが、私とつき合っている間にブロークンイングリッシュになってしまい、本人が気づかないということもあります。それで他の人から「おいマーク、おまえ、What kind English you speaking(おまえどんな英語を使っているの?)といわれたりするわけです。「Why? (どういうこと)」、「Your 〔language〕 is fany? You think so? (あなたの言葉は変だよ、そう思わないの)」という具合に、私と話したから、アメリカに帰っても、こうしてブロークンイングリッシュにしないと話せなくなった人がたくさんいます。
ロックとコザ(1994)川満勝弘(愛称:カッちゃん)編 – その29
□音楽への取り組み方 普通のミュージシャンは、あーしよう、こうしようと練習をやるんですけど、私の場合はやらなさすぎるんじゃないかな。私の場合は、なんかやっても無理というか、練習やったらその練習したものが崩れていくから、「あんたはもう練習しない方がいい」とみんなからいわれるんです。
プラザハウスで豪遊した結果www
先月16日、ブログ主は熊本からの来客をエスコートし、その際にセニョール・ターコで夕食を共にする機会がありました。ちなみに前回訪れた際は、マヨネーズ入りのタコライスが衝撃的な旨さでしたので、今回も〆で注文しつつ、改めて気になるメニューを一気に食してきました。B級グルメ好きな読者のみなさん、是非ご参照ください。
ロックとコザ(1994)川満勝弘(愛称:カッちゃん)編 – その28
□中野サンプラザでコンサート これは東京でデビューするときの話です。
一九七七年八月にはじめて「中野サンプラザ」でデビューコンサートしたとき、蛇を食いちぎるバンド、ステージに女の人を上げてレイプするバンドとか、男のチンチンを切るバンドとか、鼻からタバコ、ビールいろいろ、とにかくたいへんだといって、ハードロックの超ハードロック、日本、東京上陸と週刊誌にも報道陣にもう騒がれ過ぎるくらい騒がれました。
皇室と沖縄社会とタブー
今月12日ごろ、「沖縄青年同盟」の活動家の訃報ニュースが県内2紙に掲載されていました。彼らが起こしたとされる「国会爆竹事件」など、彼らの活動そのものには「今更どうでもいい」との感しか湧きませんが、沖縄2紙がわざわざ活動家の訃報を、しかも追悼文(沖縄タイムス)まで掲載していた事実には強い興味を覚えました。
ロックとコザ(1994)川満勝弘(愛称:カッちゃん)編 – その27
(続き)すると、マネージャーは「いや上がってる」と怒っているのです。それで私も機械を見て上がっていたので「私じゃない、彼(ミキサー)。彼にいってよ、僕にいわないで。何でいつも僕の顔を見ていうのあんた。僕が大きくしたわけじゃないよ、大きくしたのはあの人」というと、
ロックとコザ(1994)川満勝弘(愛称:カッちゃん)編 – その26
□軍のブラックリストに載る 私たちがコンディショングリーンの時に、日比谷野外公会堂でコンサートをやったのは、復帰後じゃないですかね。
私はヤマト(本土)で考えられないようなことをやっているから、いろんなことやってきて覚えてないですよ。私は那覇市民会館や内地の日比谷(野外公会堂)での演奏はだめなんです。使用許可がおりないですよ。