我が沖縄県では平成12年(2000)から、若者人口(14~24歳)比率が低下します。この現象は昭和20年(1945)を除くとおそらく有史上初めてのことかと思われますが、今回は若年層の低下が社会にどのような影響を及ぼすのかを考察します。
目に付くのが若者人口比率の減少と比例して犯罪件数が減少していることです。沖縄県警察の公式サイトに平成17年(2005)から「刑法犯総数、認知件数、謙虚件数・検挙人員」のデータがありますので貼り付けします。下記グラフからもお分かりのとおり、犯罪件数が激減していることが確認できます。
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数日前の宜野湾市のとある高台公園前付近に、「辺野古へ行こう!車がでます」の看板が掲げられていました。ちなみに地元の自治会に許可を得て設置したかは不明です。
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今回から、本土復帰前後の昭和45年(1970)から平成27年(2015)年までの人口増減が沖縄社会に与えた影響について説明します。昭和55年(1980)から年齢別人口調査のデータを沖縄県が公表しているので、その数値を参考に全人口における14歳から24歳の若者比率を算出しました。下図をご参照ください。
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現在ブログ主は、沖縄県における人口の増減が社会に与えた影響をいろいろと考察していますが、今回は番外編として人口増減が戦後沖縄の高校野球にどのような影響をもたらしたかについて調子に乗って説明したいと思います。
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本日は慰霊の日で沖縄県内は公休日にあたります。例年ゴールデンウィークを過ぎると梅雨入り、慰霊の日前後で梅雨明けのパターンで、それにあわせて夏の高校野球選手権沖縄予選が開催されます。ブログ主は今回歴史的な試合を観戦する機会に恵まれましたので、その試合を見に北谷球場へ行ってきました。同時にコザしんきんスタジアムで行われた興南 vs 向陽の結果とあわせて試合観戦レビューを掲載します。
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前回の記事において、昭和25年から30年にかけての人口急増が社会に及ぼした影響について説明しました。昭和20年(1945)の沖縄戦直後の人口が推定で35~40万で、昭和15年の沖縄県の人口が57万人ですから、戦争の結果ものすごい人口の減少を経験していることになります。
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唐突な感じもしますが、散歩企画として真栄原2丁目(旧真栄原社交街)の現在の様子をアップします。キッカケは佐野眞一さんの『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史(上)』を読んで、懐かしさの余り現在廃墟と化した社交街を散策してみようと思いついたことです。
真栄原社交街の歴史は機会があれば後日紹介するとして、この街は「新町」の名称で有名でした。昔はバス停も「新町入り口」でしたが、現在は「第二真栄原」になっていて、「真栄原社交街」の看板も撤去されています。ではブログ主が撮影した現在の真栄原2丁目をアップします。
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2017年6月19日の琉球新報の「論壇」に掲載された記事全文をアップします。投稿者は与那嶺恵子さん、大学教員との記述があります。
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前回の記事において、大日本帝国時代(1879~1945)における全人口に対しての若者人口の比率(14~24歳)の増減が沖縄社会に与えた影響について簡単に記述しました。日下先生の著作『大人の国のための戦争学』の中に、「人間も人口が増えると、極端な人が出てくる。普通なら滅びるが、そういう人が適応しやすいように世の中が変われば生き残る」との記載がありますが、大日本帝国時代の沖縄県がまさにその通りで、極端な人物の象徴は伊波普猷先生(1867~1947)で間違いないでしょう。その他にもこの時代は個性的な人材は数多く輩出し、彼らが社会に与えた影響は極めて大きいものがありました。
いわば「異端や規格外の存在が社会全体を大きく動かす」ことができたのです。これは尚家が支配していた琉球国の時代にはあまり見られない現象です。唯一の例外は蔡温(1682~1761)でしょうか。今回は、アメリカ世(1945~1972)において人口の増減が社会にどのような影響を及ぼしたかを考察します。
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最近真面目な記事の投稿が多い影響でしょうか、本日は何となくゆる~い記事を書きたくて那覇市泊にある「キロ弁」への突撃レポートを掲載します。ご了承ください。
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1年ほど前(2016.06.17)に元八重山商工の監督であった伊志嶺吉盛さんの勇退について記事を掲載しました。奇しくも今回は宮古島在住の無名エリートが成し遂げた快挙について掲載します。その人の名は知念健次さん(54)、現在宮古工業、宮古総実でボクシングの指導をされています。
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前回の記事において、日下先生が唱える「15歳から25歳の若者が全人口に占める比率が15パーセントを超えると、その国は戦争をするのである。何らかの理由で10パーセント以下に下がると、戦争は止む」の仮説を、ブログ主が実際に沖縄県の人口統計をチェックして検証しました。
統計の都合上「14歳から24歳の若者人口が全人口に占める比率が15パーセントを超えると沖縄社会に何が起こったか」を考察しました。明治12年以降、沖縄は独立国家ではなく一地方行政単位なので、戦争ではなく若者比率が急上昇すると社会にどのような影響を及ぼしたかを調べると、実に興味深いことが分かりました。先ずは明治13年から昭和にかけてブログ主が纏めた人口統計表をを貼り付けします。
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第二章「好戦的な民族」と「平和的な民族」からの抜粋です。人口論から戦争について考察した部分を掲載します。
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先日ブログ主は『犯罪実話物語 沖縄警察五十年の流れ』(比嘉清哲著、平成9年刊行)および『大人の国のための戦争学』(日下公人著、2002年刊行)を読んでいた際に、実に奇妙な一致点を見つけましたので紹介します。
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本日フェイスブックの玉城有一郎先生の投稿に対して次のような返信がありました。
玉城有一郎 「再び問う。保守とは何か?私自身の為に。」
Akira Chinen 「僕は沖縄生まれの本土育ち。最近沖縄に戻って来ました。沖縄で保守を名乗る人たちは本土の保守とは少し違う沖縄ナショナリストだと感じます。根っこには「沖縄は日本と違う国」だという意識がどこかにあるのではないかと分析しています(中略)。
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