先日(2018.01.02)、当ブログでも記事にしたお笑いコンビの村本大輔氏(37)が3日沖縄でライブを開催し、翌日4日には沖縄2紙(沖縄タイムス、琉球新報)において彼のインタビュー記事等が大きく取り上げられていました。沖縄タイムスは社会面で、琉球新報では何と1面に『隣の人に理解を』の大見出しで掲載されていました。
元日企画 俺が調子に乗って宜野湾市を一周して写真を撮影した件
当ブログにおける前年度(平成29年)の元日企画は国際通りのグルメスポットの散策記事でした。今年はもう少し本気度を上げて、嘉数高台公園を基点に徒歩で普天間神宮に移動・参拝、そして嘉数高台に戻ってくる特別企画を掲載します。ちなみに Google マップでルート散策したところ合計14.9㌔の移動になりますが、ただし途中寄り道をしていますので実際の移動距離はもう少し長くなるかと思われます。早速ですが読者の皆さん、宜野湾一周のレポートをご参照ください。
炎上芸人は不要
新年早々、お笑いコンビの村本大輔氏(37)が、「朝まで生テレビ元日スペシャル」でやらかしたニュースがネット上で話題になっています。詳細は平成30(2018)年1月1日の産経ニュース、あるいはHUFFPOST 等に報じられ、YouTube にも動画がアップされていました。
新年の挨拶
あけましておめでとうございます。
旧年中は、当ブログを訪問いただき、まことにありがとうございます。
平成28(2016)年5月19日、当ブログがスタートしてから2度目の正月を迎えることができました。おかげさまで配信記事数も 370ページを数え、目標の1000記事まで残り630 ページとなりました。当ブログは2~3日に1回のペースで記事を配信していますが、思った以上にネタがあるなと思いつつ、今年も調子に乗って記事を配信する所存であります。
俺が調子に乗って普天間第二小学校の歴史を語ってみよう 最後に
これまで計4回、普天間第二小学校の歴史について調子に乗って説明しました。ここで一つ訂正がありますので、この場を借りて掲載します。
俺が調子に乗って普天間第二小学校の歴史を語ってみよう その4
前回まで普天間第二小学校の誕生の経緯と、移転計画が断念した流れについて説明しました。今回は平成22年(2010)1月に産経新聞に掲載された記事について検証します。まず物議を醸した記事をご参照ください(現在リンク先にはアクセスできないため、Web 魚拓等からの全文掲載)。
仕方ない書評
12月25日の日刊ゲンダイDIGITALに掲載された、朝日新聞論説委員の高橋順子氏のインタビューがネット上で絶賛大炎上しています。その原因がインタビュー冒頭の部分、「新聞記者は、ウラを取って書けと言われるが、時に〈エビデンス?ねーよそんなもん〉と開き直る。政治部次長だった時に書いた朝日新聞社のコラム「政治断簡」をまとめた著書『仕方ない帝国』(河出書房新社)が評判だ。」の部分です。ちなみにエビデンス(evidence)の意味は大雑把に言って、「確固たる証拠、裏づけ」になります。果たして裏づけ(エビデンス)なしで本当に記事を書いていたのか、興味を持ったブログ主は早速ですが『仕方のない帝国』を入手して呼んで見ました。
〈エビデンス?ねーよそんなもん〉の部分は19㌻の中にありまして、その前後の部分を抜粋すると、
俺が調子に乗って普天間第二小学校の歴史を語ってみよう その3
今回は平成8年(1996)に現敷地での全面改築の経緯について記載します。平成17年(2005)3月に刊行された『普天間第二小学校創立35周年記念誌』には第7代校長の手記が掲載されていますので、該当部分を抜粋しました。ご参照ください。
俺が調子に乗って普天間第二小学校の歴史を語ってみよう その2
前回までに普天間第二小学校が誕生した流れを簡単に説明しました。今回からは移転計画の頓挫と、校舎立て替えにいたる経緯について、公開された情報をベースに記述します。
その前に普天間第二小学校PTA新聞(第72号)に、新校舎落成の記事が掲載されていますので全文抜粋します。
残念極まりない偏向報道の一例
本日(12月21日)の沖縄タイムス一面に、次のような記事が掲載されていました。ブログ主は以前、屋良朝苗著 – 『屋良朝苗回顧録』を読んでいたため、この記事に対して奇異な感じを持ちました。全文を掲載しますのでご参照ください。
俺が調子に乗って普天間第二小学校の歴史を語ってみよう その1
去る(平成29年)12月13日に起こった飛行中の米軍へリの部品が普天間第二小学校へ落ちた事件に関連して、ブログ主が普天間第二小学校の歴史を調べてみましたので掲載します。普天間第二小学校の歴史(とくに移転問題)に関しては裏づけなしの噂話が多すぎるので、今回は公開された情報のみで歴史を振り返ります。
普天間第二小学校の分離開校は我が宜野湾市では初のケースで、その理由は人口の急増です。そのため昭和37年(1962)の市制施行からさかのぼって学校の歴史を鑑みるのがよいと考えます。
瀬長亀次郎さんが決して口外しなかったこと~学歴詐称の疑い
ここ数日間、ブログ主は昭和20年から25年にかけての瀬長亀次郎さんの経歴をチェックしていましたが、沖縄公文書館が Web 上で公開している文書のなかに面白い資料を見つけましたので掲載します。
琉球政府文書 – 政党に関する書類(1)結成届け、綱領、会計報告のページで、沖縄人民党関連の資料が公開されていますが、その中の 108㌻以降、1949年11月2日付、沖縄人民党中央委員会が沖縄知事志喜屋孝信(しきや・こうしん)宛てに提出した『政党に関する報告』の中の役員名簿を見たときに、ブログ主は「えっ??」と思った記述がありましたので、画像を貼り付けます。
12月13日の米軍ヘリからの部品落下事件について
先日の13日10時ごろ、我が宜野湾市の普天間第二小学校の校庭グラウンドに米軍ヘリの部品が落下して大騒ぎになった案件、14日の沖縄2紙では一面トップで大々的に報道しました。2日経過して様々な報道に接してようやく冷静になったところで、今回の事件についての記事を掲載します。
父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです
先日7日に保育園に米軍の部品と思わしき円筒が落下した事件があり、12日現在ネット上でちょっとした騒ぎになっています。
史料 又吉康和氏の「自治尚早論」
今回は又吉康和(またよし・こうわ 1887~1953)氏の「自治尚早論」の全文を掲載します。先ず又吉氏のプロフィールを『沖縄大百科事典』から抜粋しますのでご参照下さい。