史料 忘れられた島 – 沖縄

今回は昭和24年(1949)12月3日に『うるま新報』に掲載された記事「タイム誌記者の見た占領下四年後の沖縄」の全文を掲載します。昭和24年10月に沖縄に赴任したジョセフ・R・シーツ少将の時代になって初めて米人記者が沖縄を自由に取材することが出来、その時来島した記者が「忘れられた島 – 沖縄」のタイトルでタイム誌に掲載したものになります。

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史料 松原多摩喜氏の回顧録から

ここ最近ブログ主は、瀬長亀次郎さんに関する記述をいろいろ調べているうち、面白い情報をいくつか発見しました。今回アップするのは瀬長さんの七高時代の恩師、松原多摩喜氏の回顧録『七高在職十七年の好ましくない思い出と自身の失敗の数々』から史料を掲載します(この文章は安仁屋政昭著 『沖縄の無産運動』 からの抜粋です)。

この文章は、おそらく瀬長さんが那覇市長を追放され、その後民連(民主主義擁護連絡協議会)で議長を務めた1958年あたりに書かれたと思われます。七高時代の瀬長さんは、アカの道に進んだことが父親にばれて、送金を停止されて大変困っていました。そこで現在の窮状を当時の担任であった松原氏に相談します。そのような背景があった点を頭に入れて松原氏の回顧録をご参照下さい。

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直八(しんはち)の時代

先日28日に、沖縄県議会が「在沖米海兵隊員による飲酒運転死亡事故に関する意見書」を修正可決しました。米人であろうが沖縄県民であろうが、飲酒運転による死亡事故は極めて悪質であり、県議会がなんらかの抗議決議を可決するのは当然です。だがしかし、この案件と「在沖米海兵隊の早期の国外、県外の移転を求める」こととは別問題です。なぜなら仮に米海兵隊が県外、国外に撤退しても、代わりに沖縄県民が飲酒運転で悪質な事故を起こすからです。

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沖縄における旧革新勢力とその支持者が堕落した最大の理由を考えた結果……

ここしばらくブログ主は瀬長亀次郎さん関連の史料をあれこれ調べていました。たしか故谷沢永一さんのご指摘でしたが、「その人が何をしていないか(あるいは何に対して沈黙しているか)を調べると、本質が見えてくる」との方針で記事を掲載しましたが、その過程で1つ面白いことに気がつきましたので、この場をかりて説明します。

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瀬長亀次郎さんが決して口外しなかったこと~高嶺朝光さんの証言

今回は高嶺朝光(たかみね・ちょうこう)さんの著書『新聞五十年』から、戦前の瀬長亀次郎さんに関する記述を掲載します。瀬長さんはたしか昭和6年(1931)に共産党に入党、本土で労働組合活動中に検挙され、3年の懲役刑を受けます。そのうち1年は沖縄刑務所に服役して、出所後は県の工業指導書で蒔絵職人として働きます。

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瀬長亀次郎さんが決して口外しなかったこと~恩知らずカメジローの巻

前回の記事で瀬長亀次郎さんが中国戦線から復員した昭和15年(1940)以降、平良辰雄さん(1892~1969)のお世話になっていたことを記述しました。その縁があって、沖縄戦終了後の捕虜収容所の時代(田井等)においても瀬長さんは平良辰雄さんの下で再び働くことになります(平良辰雄さんは収容所の市長に就任、瀬長さんは庶務課長として勤務しています)。

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一に感情、二に政治利用、三、四が無くて、五にお金

先日とある Facebook 上で「沖縄あるある、一に感情、二に政治利用、三、四が無くて、五にお金」との投稿がありました。沖縄県民の一面を鋭く指摘した内容でブログ主は素直に脱帽した次第ではありますが、23日の地元新聞の記事において、(二に政治利用を実感させる)実に不愉快にな気分になった記事がありましたので紹介します。

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カリスマの担い手としての瀬長亀次郎さんの役割

前回、瀬長亀次郎さんが大東亜戦争の際に “翼賛壮年団” に加入していた件について記述しました。この事実は瀬長さんの回想録や『沖縄人民党の歴史』あるいは瀬長フミさんの回想録『熱い太陽のもと激動の島に生きる』など関連著作には一言も記述がありません。つまり黒歴史として抹殺されているのですが、瀬長さんの生き様を振り返るとやむを得ないかなと思います。その理由は彼が “カリスマ的指導者” として人民党を率いていたからです。

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瀬長亀次郎さんが決して口外しなかったこと

2017年8月12日に佐古忠彦監督、TBSテレビが製作したドキュメンタリー『米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー』が公開されました。ちなみにブログ主はこの映画は未だ見ていませんが、その間に『瀬長亀次郎回回想録』など瀬長さん関連の書籍をいろいろチェックしていました。

瀬長さんのキャッチフレーズである「不屈」は人民党が結成した昭和22年(1947)から日本共産党に合流する昭和48年(1973)の間に好んで使っていた言葉で、現在もそのイメージが強いのですが、ブログ主がいろいろ調べているうちに瀬長さんが決して口外しないワードが複数あることに気がつきました。それは現時点で確認できたのが3つあって

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上り日ど拝みゆる、下り日や拝まぬ

以前当ブログで掲載した翁長助裕さんの論文の記事が予想の斜め上を行くアクセス数を獲得し、ブログ主は大いに驚いた次第であります。Facebook ページで賀数仁然さんはじめ多数の“いいね”の反応があり、50年前の論文とはいえ現代の沖縄県民も“うちあたい”しているんだなと実感せざるを得ませんでした。

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計算高いとは彼女のような立ち振る舞いを言う

本日(11月12日)、琉球新報の女性識者によるコラム「日曜の風」に香山リカさんの投稿が掲載されていました。相変らずの香ばしい内容で、当ブログでも過去に室井佑月さんの投稿を2度取り上げたのですが、今回はちょっとおもしろいことに気がつきました。まずは全文をご参照ください。

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翁長助裕さんが指摘した沖縄の人たちの欠点

ここ数日、ブログ主は伊波普猷先生の論文、「沖縄人の最大欠点」を読んだのがキッカケで、各時代における識者が指摘する沖縄県民(あるいは沖縄県人、琉球人)の欠点についてあれこれ調べていました。ちなみにブログ主は現在の沖縄県民の大欠点の1つは“テーゲーとシムサの発想にある”と仮定していますが、この件については後日記事を掲載する予定です。今回は1960年代の琉球新報に掲載された2つの論文を紹介します。

執筆者は翁長助裕(おながすけひろ)氏で、現沖縄知事の雄志氏の兄にあたります。法政大学大学院を卒業後に琉球新報に掲載された論文ですが、当時の沖縄の人たちの欠点を実に見事に指摘しています。50年後の今日も通じる面がありますので、読者の皆さんご参照下さい。

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沖縄タイムス 大弦小弦 〈20171106〉

11月6日の沖縄タイムス一面に、10月27日名護市で開催された作家の百田尚樹さんの講演会に参加した記者の署名記事が掲載(大弦小弦)されていました。全文を掲載しますので読者の皆さん、ご参照ください。

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過則可憚改

本日、福島みずほさんのツイートがネット上で大炎上というニュースを見かけたので、ブログ主は面白半分でチェックしてみました。問題のツイートは2つ、全文抜粋しましたのでご参照ください(訂正、過則不可憚改を過則可憚改に直しました)。

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