先日ブログ主はひさびさに渡部昇一著『日本史から見た日本人 – 古代編』を読んでいたところ、面白い点に気がついたので当ブログで記事配信します。同著118ページからの『(1)「和歌」の前に平等な日本人』の項目は、渡部先生の最高傑作といっても過言ではありませんが、では琉球・沖縄の歴史において「~の前の平等」という発想があったのかを振り返ると、実は全くといって良いほど無いのです。
「和歌」の前に平等な日本人 – 渡部昇一
カーストを超越して成立した「万葉集」
ある国民の特徴を見るとき、彼らが「何の前において万人は平等と考えているか」ということが、おおいに参考になる。
たとえばユダヤ=キリスト教圏においては、「万人は神の前において平等」という考えが圧倒的である。だから中世の宗教画を見ると、ローマ法皇が地獄に堕ちたりしている。どんなに教会的に高位を占める法皇でも、神の目から見れば奴隷と同じなのである。
報道しない?自由
本日(3月1日)、琉球新報朝刊1面に 『呉屋共同代表が辞任 – オール沖縄会議 – 辺野古阻止は継続』 という見出しで、呉屋守将(ごやもりまさ)・金秀グループ会長が、28日付けで共同代表を辞任したニュースが掲載されていました。総合2面には解説および呉屋氏との一問一答も掲載されています。
エルダリーバルジ(elderly Bulge)の弊害
今回ブログ主は、昭和55(1980)年から現在にいたる我が沖縄県における人口動態を再度チェックしたところ、実に面白いことが確認できたので当ブログにアップします。以前全人口における若者人口(15~24歳)までの比率を調べたことがあり、今回はそれに加えて(全人口に占める)65歳以上の人口も計算してみました。
沖縄から見れば、明治維新は……
本日(2月27日)の琉球新報に面白い内容の読者の投稿がありますので、当ブログでアップします。早速ですが全文をご参照ください。
琉球独立論の盲点
前回は当ブログにて現代の琉球独立論の前提が何かおかしいのでは?とのテーマで記事を作成しました。今回は人口から見た独立論の盲点について説明します。キッカケはブログ内の整理整頓を試みるつもりで過去履歴をチェックしていた際に、人口の増加が沖縄社会に及ぼした影響について配信した記事を読み返したことです。早速ですがその時に作成した人口表をご参照ください。
琉球独立論考
先日ブログ主は川瀬俊治著 『琉球独立は可能か』 を購入しました。金城実さんと松島泰勝氏の対談形式で果たして琉球独立が可能かどうかについて考察した著作です。この著書は全八章からなり、実はまだ第八章 (琉球連邦共和国を目指す)は読んでいませんが、面白いことを発見したので先に記事にします。
読売ジャイアンツの那覇キャンプを見学してきたよ
先日(2月20日)、ブログ主は那覇市の沖縄セルラースタジアムで行われている読売ジャイアンツの一軍キャンプを見学してきました。ブログ主は2011年に初めて巨人軍が2次キャンプを行ったときに見にいったことがありますが(そのときは韓国のプロチームとの練習試合)、よく考えるとそれ以来のキャンプ見学になります。今回見学を思い立った理由の一つが我が沖縄に縁がある選手が1軍キャンプに帯同して、その選手を一度見たかったからです。
桑を指して槐を罵る – 望月依塑子、森ゆうこ著 『追及力』 の書評
先日ブログ主は望月依塑子記者と森ゆうこ議員の対話録 『追及力』 を購入しました。望月さんは菅官房長官との会見でいちやく有名になった東京新聞の記者ですが、正直なところ「おバカな質問を連発しているな」ぐらいの印象しかありませんでした。だがしかし、彼女の著作を参照した際に面白いことに気がついたので当ブログで書評として記事を掲載します。
史料 – 沖縄人民党綱領
今回は昭和22(1947)年11月15日、沖縄(民政府)知事志喜屋孝信宛に提出された、『政党に関する書類 – 沖縄人民党』 より沖縄人民党の綱領、政策について掲載します。沖縄県公文書館 – 琉球政府文書 – 政党に関する書類(1)結成届け、綱領、会計報告からの抜粋です。
『戦争と平和の谷間から』 浦崎康華著によると、試案は浦崎康華さんが作成し、昭和22年7月20日の新党結成大会において無修正で作成されたのこと。以前当ブログで掲載した、新沖縄建設大綱(私案)と比較すると実に興味深い内容です。共産主義的な要素があまり感じられないことに驚かれるかもしれません。読者の皆さん、是非ご参照ください。
琉球・沖縄の歴史上最も偉大な女性の思い出話
先日ブログ主は沖縄県立図書館において、昭和7(1932)年に琉球新報に掲載された『あの頃を語る』の記事を閲覧中に、ずっと探していた安村つる子女史(1881~1943)の思い出話を見つけることができました。安村つる子(旧姓久場ツル)さんは明治14(1881)年首里にうまれ、沖縄初の女性教員として首里尋常高等小学校に勤務、琉球・沖縄の歴史上初めて学業によって身を立てた女性です。実はそれだけではなく、安村女史は
大人の対応
平成29(2017)年12月9日の産経ニュースから始まる一連の誤報案件で、ブログ主は前の記事において「実は今回の案件における産経側の対応はトラブルシューティングの見本ともいえる素晴らしいもので……」と記述しました。今回はこの点について少し説明します。
必要以上に相手を刺激してしまった結果…
平成30(2018)年2月8日、産経新聞は『沖縄米兵の救出報道 おわびと削除』の見出しで、「12月9日に配信した『危険顧みず日本人救出し意識不明の米海兵隊員 元米軍属判決の陰で勇敢な行動はスルー』の記事中にある「日本人を救出した」は確認できませんでした…(中略)記事は取材が不十分であり削除します。記事中、琉球新報、沖縄タイムスの報道姿勢に行き過ぎた表現がありました。両社と読者の皆さまにおわびします」の検証および謝罪記事を1面(と3面)に掲載しました。
史料 – ウルマ新報誕生の経緯(島清さんの証言)
今回は、瀬長亀次郎さんの足跡をチェック中に発見、『琉球新報80年史 – 新聞にみる沖縄の世相』の通史篇に記述されていたウルマ新報誕生の経緯を掲載します。それはウルマ新報初代社長島清(しま・きよし 1908~1997)さんの証言で、非常に興味深い内容になっています。
琉球共和社会憲法C私(試)案 – 全文
今回は昭和56(1981)年5月15日起草、そして『新沖縄文学 6月号(48)』に掲載された、「琉球共和社会憲法C私(試)案」の全文を掲載します。なお解説(という名の突っ込み)は後日改めて述べることにして、先にこの私案が起草された背景について説明します。