今回はブログ主が蒐集した昭和20(1945)年の瀬長亀次郎氏の消息を掲載します。今後新しい情報を確認次第、改めて追記することにしますが、現時点でブログ主がチェックしたところの瀬長さんの動きは大まかに纏めると、
突撃グルメレポート~ステーキハウス四季の“おいそぎステーキ”は本当にお急ぎだったかを検証してみたよ
実はブログ主にとって以前から気になっていた案件ですが、沖縄市園田(そんだ)に本店があるステーキハウス四季のランチメニュー“おいそぎステーキ”は本当にお昼の時間の短いお客様のためにスピーディーにランチを提供できるかを今回検証できたので報告します。さっそくですが読者の皆さん、是非ご参照ください。
突撃グルメレポート~とある名無しの食堂で昼食を済ませたお話
先日ブログ主は偶然ですが那覇市内で面白い食堂を発見しました。今回はその突撃レポートを掲載します。
成人式考
先週日曜日(1月7日)、我が沖縄県でも21市町村で成人式が開催されました。沖縄の成人式は例年荒れることで有名ですが、今年は沖縄タイムスプラスでは『那覇で新成人の逮捕・保護なし・・・「こんなに静かな国際通り始めて」』の見出しで、逮捕者が出なかったことを大々的に報じたように、総じて大人しかった様子でした。だがしかし、荒れなかったことがニュースになる時点で何かがおかしい。
突撃グルメレポート~みそ汁亭 秀(ひで)に行ってきたよ
最近当ブログでは更新をサボっていた「突撃グルメシリーズ」ですが、今回はみそ汁で有名な店「秀(ひで)」で白みそ汁を食したレポートを掲載します。
ちなみに沖縄におけるみそ汁とは
子曰君子周而不否小人比而不周
先日(2018.01.02)、当ブログでも記事にしたお笑いコンビの村本大輔氏(37)が3日沖縄でライブを開催し、翌日4日には沖縄2紙(沖縄タイムス、琉球新報)において彼のインタビュー記事等が大きく取り上げられていました。沖縄タイムスは社会面で、琉球新報では何と1面に『隣の人に理解を』の大見出しで掲載されていました。
元日企画 俺が調子に乗って宜野湾市を一周して写真を撮影した件
当ブログにおける前年度(平成29年)の元日企画は国際通りのグルメスポットの散策記事でした。今年はもう少し本気度を上げて、嘉数高台公園を基点に徒歩で普天間神宮に移動・参拝、そして嘉数高台に戻ってくる特別企画を掲載します。ちなみに Google マップでルート散策したところ合計14.9㌔の移動になりますが、ただし途中寄り道をしていますので実際の移動距離はもう少し長くなるかと思われます。早速ですが読者の皆さん、宜野湾一周のレポートをご参照ください。
炎上芸人は不要
新年早々、お笑いコンビの村本大輔氏(37)が、「朝まで生テレビ元日スペシャル」でやらかしたニュースがネット上で話題になっています。詳細は平成30(2018)年1月1日の産経ニュース、あるいはHUFFPOST 等に報じられ、YouTube にも動画がアップされていました。
新年の挨拶
あけましておめでとうございます。
旧年中は、当ブログを訪問いただき、まことにありがとうございます。
平成28(2016)年5月19日、当ブログがスタートしてから2度目の正月を迎えることができました。おかげさまで配信記事数も 370ページを数え、目標の1000記事まで残り630 ページとなりました。当ブログは2~3日に1回のペースで記事を配信していますが、思った以上にネタがあるなと思いつつ、今年も調子に乗って記事を配信する所存であります。
俺が調子に乗って普天間第二小学校の歴史を語ってみよう 最後に
これまで計4回、普天間第二小学校の歴史について調子に乗って説明しました。ここで一つ訂正がありますので、この場を借りて掲載します。
俺が調子に乗って普天間第二小学校の歴史を語ってみよう その4
前回まで普天間第二小学校の誕生の経緯と、移転計画が断念した流れについて説明しました。今回は平成22年(2010)1月に産経新聞に掲載された記事について検証します。まず物議を醸した記事をご参照ください(現在リンク先にはアクセスできないため、Web 魚拓等からの全文掲載)。
仕方ない書評
12月25日の日刊ゲンダイDIGITALに掲載された、朝日新聞論説委員の高橋順子氏のインタビューがネット上で絶賛大炎上しています。その原因がインタビュー冒頭の部分、「新聞記者は、ウラを取って書けと言われるが、時に〈エビデンス?ねーよそんなもん〉と開き直る。政治部次長だった時に書いた朝日新聞社のコラム「政治断簡」をまとめた著書『仕方ない帝国』(河出書房新社)が評判だ。」の部分です。ちなみにエビデンス(evidence)の意味は大雑把に言って、「確固たる証拠、裏づけ」になります。果たして裏づけ(エビデンス)なしで本当に記事を書いていたのか、興味を持ったブログ主は早速ですが『仕方のない帝国』を入手して呼んで見ました。
〈エビデンス?ねーよそんなもん〉の部分は19㌻の中にありまして、その前後の部分を抜粋すると、
俺が調子に乗って普天間第二小学校の歴史を語ってみよう その3
今回は平成8年(1996)に現敷地での全面改築の経緯について記載します。平成17年(2005)3月に刊行された『普天間第二小学校創立35周年記念誌』には第7代校長の手記が掲載されていますので、該当部分を抜粋しました。ご参照ください。
俺が調子に乗って普天間第二小学校の歴史を語ってみよう その2
前回までに普天間第二小学校が誕生した流れを簡単に説明しました。今回からは移転計画の頓挫と、校舎立て替えにいたる経緯について、公開された情報をベースに記述します。
その前に普天間第二小学校PTA新聞(第72号)に、新校舎落成の記事が掲載されていますので全文抜粋します。
残念極まりない偏向報道の一例
本日(12月21日)の沖縄タイムス一面に、次のような記事が掲載されていました。ブログ主は以前、屋良朝苗著 – 『屋良朝苗回顧録』を読んでいたため、この記事に対して奇異な感じを持ちました。全文を掲載しますのでご参照ください。