史料 昭和24年の瀬長亀次郎さんの消息

今回は昭和24年(1949年)の瀬長亀次郎さんの経歴についての史料をアップします。瀬長さんは昭和23年(1948年)まで沖縄民政府の又吉康和副知事、米軍政府の情報部長ハウトン大尉の庇護のもと、沖縄議会の議員および新聞社の社長として精力的に活動します。

もともと米軍政府は「うるま新報」が人民党幹部で占められていることに対して快くは思っていませんでした。「公平さを欠く」というのがその理由ですが、ハウトン大尉が情報部長の間は黙認されます。沖縄議会においても瀬長さんが又吉康和さんに忠実である以上、彼の地位は安泰でしたが、昭和24年(1949年)になると状況が一変します。

続きを読む

閲覧注意

すでに Facebook 上ではアップした平良研一さんの「論壇」を改めて書き写して当ブログに掲載します。まずは平成30年5月3日付けの投稿をご参照ください。

続きを読む

「喜舎場朝信を救う会」について調べてみたよ

先日(4月29日)に公開した記事、“沖縄ヤクザ関連の蒐集したエピソードを適当にならべてみた”がブログ主の予想の斜め上を行く反響でしたので、今回も調子に乗って沖縄ヤクザ関連の記事を掲載します。前回の記事において(個人的に)一番衝撃だったエピソードに、昭和38年2月に「喜舎場朝信を救う会」が開催された件がありますが、実際に当時の新聞を調べたところ本当にあったので、今回は書き写し分を掲載します。(注、月間沖縄では開催日が2月13日とあるが、琉球新報では2月14日午後3時となっています。開催場所がコザ市照屋の区民館(公民館)であることは一致。)

続きを読む

理性を失った人たちの姿

ここ最近ブログ主は“教公二法”関連の史料集めを行っています。不定期に図書館等に通って当時(昭和42年)の新聞や関係著書をチェックしているのですが、その中に興味深い記事がありました。教公二法に関しての詳細は後日アップすることにして、今回は昭和42年2月25日の琉球新報のコラムの書き写しを掲載します。

続きを読む

沖縄ヤクザ関連の蒐集したエピソードを適当にならべてみた

唐突ですが、今回は沖縄ヤクザ関連のネタを適当に並べてみました。実は琉球王国および戦前の沖縄には現代のようなヤクザ組織はありませんでした。沖縄戦後、アメリカ世になって初めてアンダーグラウンドの世界を仕切る反社会的な集団が誕生します。この点は琉球・沖縄の歴史を語る上で重要なので、ブログ主は不定期ですが当時の新聞などを確認して情報を収集しています。大雑把にいって昭和27(1952)年から昭和42(1967)年ごろまでのエピソードを思いつくまでに並べてみました。是非ご参照ください。

※令和05年01月28日、サイト内整理に伴い、一部加筆・修正済。訂正を加えた分は青地で表記しています。

続きを読む

おまけ 辻政信氏失踪事件に関する記事

先日昭和53年(1978)10月の県内二紙(琉球新報、沖縄タイムス)を調べていたところ、辻政信失踪事件に関する記事が掲載されていましたので、ついでといっては何ですが当ブログにて書き写しをアップします。真偽は不明ですが、一般紙が事件について大々的に掲載している点が実に興味深いです。読者の皆さん是非ご参照ください。

続きを読む

琉球の帰属

今回は、我が沖縄の先人たちが本土復帰についてどう考えていたかの記事を掲載します。アメリカ世の昭和26年(1951年)に、当時の沖縄タイムス一面に「琉球の帰属」という社説が掲載されました。執筆者は高嶺朝光さん、当時の心境は「新聞五十年」に掲載されているので、下記掲載します。

続きを読む

「だから何?」って感じ

平成30年(2018年)4月23日の沖縄タイムス(社会 – 26)に以下の記事が掲載されていました。全文を書き写しましたので読者の皆さん是非ご参照ください。

続きを読む

下には下があるお話

新潟県の米山隆一知事(50)は18日、(新潟)県庁で臨時の記者会見を開き、インターネットの出会い系サイトで知り合った女性と交際し、知事就任後も金品を渡して男女関係を持ったことを認め「県政に混乱を招いた」として、辞職を表明した(中略)。(2018.4.19.00:01 – 産経ニュースより抜粋)というニュースに関して思いついたことを記事に纏めました。先に文春オンラインの記事をご参照ください。

続きを読む

孟子の一節(梁恵王章句下)

先日、孟子〈上〉(岩波文庫)- 小林勝人訳注を読んでいる最中に、ハタとひらめいた一節がありましたので、紹介します。先ずは全文(読み下し文、現代語訳)をご参照ください。

続きを読む

昭和53年10月21日(土)の琉球新報〈金口木舌〉

先日(4月15日)掲載した記事 “非武装、中立あり得ぬ”が予想以上の反響でしたので、今回も昭和53年10月22日の鄧小平副首相(当時)来日関連の史料を掲載します。この件に関する前日(10月21日)の琉球新報の論説が実に興味深い内容です。沖縄タイムスに関してはまだチェックしていないので、機会があれば後日当ブログにてアップする予定です。

続きを読む

非武装、中立あり得ぬ

昭和53年(1978年)10月以降の琉球新報をチェックしたところ、鄧小平副首相訪日(22日)とそれに関する記事が複数掲載されていました。一番興味深いのが11月2日夕刊一面に掲載された廖承志(りょう・しょうし)中日友好協会会長のインタビュー記事です。この記事を読むと中国側のほうが現実感覚に優れ、日本の一部知識人の現実感覚のなさが浮き彫りになっていて、「当時も今も状況はあまり変わっていないな」と思わざるを得ませんでした。

続きを読む

昭和41年12月7日沖縄タイムス夕刊3面の記事

本日(4月13日)ブログ主は沖縄県立図書館にて、“教公二法”と“昭和53年の沖縄県知事選挙”に関する史料チェック中に面白い記事を複数発見しました。せっかくなので史料として当ブログにて掲載します。

以前に“裁判移送問題と中村議員の失踪”の記事を掲載しましたが、昭和41年(1966年)12月7日の沖縄タイムス夕刊3面に『とんだ人騒がせ – 真相は本人だけしか知らぬ』のタイトルで中村晄兆(なかむら・てるあき)議員失踪事件について記事が掲載されていました。この事件は戦後沖縄における最大級の謎事件ですので、史料入手次第、不定期ですが当ブログにて情報提供していく予定です。

続きを読む