昨今の沖縄は格安ステーキ店が人気を博しています。そのブームの火付け役の一つである”ジャンボステーキハンズ(HAN’S)”の名物メニューである”ドデカ!! 1000g”シリーズ”に挑んだグルメレポートを掲載します。ステーキ好きな読者の皆さん、是非ご参照ください。
選挙における候補者選びについて真面目に考えて見たところ ~ その3
これまで当ブログにて沖縄の選挙における候補者選び(どちらかといえばNG事項)について彼是述べてきました。3つのチェックポイントの最後の項目を説明する前に(補助線として)翁長雄志氏の著書『戦う民意』の165ページの一節を抜粋します。ご参照ください。
俺が調子に乗って35cmメガ盛りカレーを食したお話
先日、浦添市城間にある漫画喫茶ブックレストの前を通りがかったときに、「ブックレスト特製35cmメガ盛りカレー」の看板が目に留まりました。これはチャレンジせざるを得ないと決意し、本日(5月29日)実際に突撃したグルメレポートを掲載します。ちなみに35cmで思いつくのは(古い話ですが)12インチのレコード、あるいはステアリングホイールなどの大きさでしょうか。読者の皆さん是非ご参照ください。
俺が調子に乗って第100回全国高等学校野球選手権記念沖縄大会の展望を語ってみよう
先日ブログ主は、沖縄セルラースタジアム那覇で開催された第47回招待試合(招待校:明徳義塾)の初日を観戦しました。結果は
第一試合 明徳義塾 6-2 KBC学園未来沖縄
第二試合 興南 2-0 明徳義塾
で、ブログ主お目当ての市川悠太投手(明徳)は第一試合に先発、そして完投しました。この結果を踏まえて、平成30年(2018年)6月23日から開催される県予選大会の展望をブログ主が調子に乗って語りますので、野球好きの皆さん是非ご参照ください。
選挙における候補者選びについて真面目に考えて見たところ ~ その2
前回記事において、選挙における候補者選びの際に、「民主主義=反ファシズムである」と考えている(あるいは支持者、支持団体がそう思っている)候補者には投票すべきではない旨を説明しました。ちなみにこのセンスは思いのほか現代社会に根強く残っていて、近代デモクラシーの精神を阻害する最大要因になっていることは否定できません。
選挙における候補者選びについて真面目に考えて見たところ
本日は平成30年5月22日、ためしに当ブログの開始日を再確認したところ平成28年5月19日スタートですので、なんと地味に3年目に突入していることがわかりました。そうなると何か“記念企画”なる記事を提供したいところですが、残念ながら全くといっていいほどアイデアが浮かんできません。そこで今回は無理に運営3周年突入企画など行わずに平常運転で記事を掲載します。
無駄に高級感溢れるポークたまご定食を見つけたお話
先日ブログ主は、宜野湾市大謝名にある「鳥と卵の専門店 – 鳥玉」に夕食を食べにいったところ、ポークたまご定食を提供していることに気がついて試しに注文してみました。ちなみにポークたまご定食は(ネット上の拾い画像ですが)こんな感じの大衆的な定食で、ブログ主の記憶では平成に入った辺りから(沖縄の)食堂で提供されるようになりました。
【再考】 キャンプ・シュワブ誕生の経緯 – その4
今回は、“キャンプ・シュワブ誘致説”の根拠の一つでしょうか、平成4年(1992年)9月18日の沖縄タイムスに連載された『弁務官周辺の秘話 – ジョージ・サンキ語学将校の証言』の全文を抜粋します。読者のみなさん是非ご参照ください。
小渡三郎さんのエピソード
唐突ですが、なんとなくゆるい記事を書きたいとの思いつきから、今回は小渡三郎(おど・さぶろう)さんのエピソードを掲載します。ちなみにこの人、追悼録を読むと打線が組めるほどエピソードが豊富ですが、今回はその中のひとつで昭和19(1944)年に海軍兵学校を受験するために鹿児島で起こした事件を紹介します。
対談 – 復帰の“意味”を追求する
本日は46回目の復帰の日、そこでブログ主にて当時の新聞をチェックしたところ、実に興味深い記事を発見しましたので今回全文を掲載します。昭和47年5月15日 – 琉球新報復帰特集号の第2集に佐久川政一さん(当時沖縄大学学長)と復帰協事務局長との対談が掲載されていました。佐久川政一という極めて香ばしい名称に心魅かれて記事をチェックしたのですが、当時の復帰協(祖国復帰協義会)と革新系知識人の考え方を推察することができる貴重な内容となっています。
ただし予備知識なしで読むと意味不明なところもありますので、捕捉として、①対談者が「(戦後)民主主義=反ファシズム」と考えている、②冷戦は単なるイデオロギー闘争である、③そして日本国憲法を遵守することが戦前の大日本帝国の政治体制との決別と考えていることを念頭におけば対談の意図が理解できると思われます。読者の皆さん是非ご参照ください。(主体という言葉でちょっと吹いてしまうのは内緒でお願いします)
【再考】 キャンプ・シュワブ誕生の経緯 – その3
今回は昭和31年12月の土地接収に関する記事を掲載します。前述したとおり、昭和30年(1955)年の2度の接収予告では比嘉村長を始め久志村の地主は反対の立場でした。ただし3度目にあたる昭和31年12月20日の新規接収予告においては、「契約を前提」として話がすすみ、そして同月28日にスピード契約という異例の展開となります。
広告とヌード写真
ここ数日キャンプ・シュワブ関連で昭和30年前後の新聞をチェックしているのですが、やはり時代というかなんというか映画等の広告が現代基準ではありえないほど“エグい”描写になっています。具体的にいえば“よい子が見てはいけない広告”が目立つのですが、この件に関して昭和31年(1956年)12月25日の琉球新報にコラムとして掲載されていました。読者のみなさん、是非ご参照ください。
【再考】 キャンプ・シュワブ誕生の経緯 – その2
前回記事において、昭和31年(1956年)12月22日の沖縄タイムスの記事から比嘉久志村長の談話を掲載しましたが、今回は同日の琉球新報の記事を掲載します。
【再考】 キャンプ・シュワブ誕生の経緯 – その1
以前に当ブログで『当間重剛回想録』を参照に、“キャンプ・シュワブ誕生の経緯”の記事を掲載しました。今回は新に史料を入手できましたので、誕生の経緯について再考します。ちなみに何故史料を集めたかといえば、単純にキャンプ・シュワブは地元が“誘致”したのか、それとも“新規接収の応じた”のか気になったからです。
まず調べたのが、土地連(沖縄県軍用地等地主連合会)はこの案件をどのように記載しているのかです。理由は当時の土地問題における「一括払い反対」「新規接収反対」の運動の中核が土地連だったからです。該当部分を抜粋しましたので、是非ご参照ください。(ちなみに桑江朝幸さんの著書を読むと、この案件に対し明らかに不快感を抱いています)
恒産なくして恒心なし
ブログ主はできる限りの時間を設けて、毎日古典を読むことを日課つけています。以前当ブログにおいて“現代社会の古典離れを憂うお話 その2”と題して西銘順治さんのコラムを掲載したことがあります。記事として掲載した以上、古典の再読に取組まなければならないと思い、先ずは四書 (大学、論語、孟子、中庸)の通読を試みている最中です。
実際に古典を再読した後に(歴史)史料や新聞記事を読むと、いままで見えてこなかったものが見えてきたりして、これまで地道に取組んできた古典の再読はムダではなかったと実感しつつ、今回は孟子 – 梁恵王章句上から下記の一文を抜粋します。有名な諺ですが、読者の皆さんご参照ください。