平成30年(2018年)10月6日付の “Number Web” に “プロ野球選手の昔の風格が凄かった!衣笠祥雄の秘蔵写真とカメラマン秘話” と題したコラムが掲載されてましたが、その中の全日空ボーイング737機のタラップから降りてくる広島東洋カープの選手たちの写真を見たときに、ブログ主は最初絶句その後爆笑してしまいました。
とある訃報記事をみてびっくりした件
先日、沖縄県立図書館で復帰直後の新聞をチェックしていたところ、とある市議の訃報記事に目が留まりました。昭和50年(1975)3月24日付琉球新報夕刊に掲載された小さな記事ですが、ブログ主にとっては驚きの内容でしたので該当部分をコピーして持ち帰りました。試しに同年同日の沖縄タイムスにも同様の訃報記事が掲載されていましたが、今回は琉球新報の記事を紹介します。読者のみなさん是非ご参照ください。
第47回沖縄県高校野球部対抗競技大会の結果
先月12日に、宜野湾市立グランドほかで第47回沖縄県高校野球部対抗競技大会が開催され、今年は興南高校が469点の歴代最高レベルの得点をマークして優勝しました。オフ(冬場)の基礎体力等トレーニングの向上を目的に昭和47年(1972年)から開催された競技会も今年で47回目、もはや全国的にも有名になった沖縄高校野球独自のイベントです。今回は過去3年間および、ブログ主がチェックした第36回大会以降のデータを参照に、今年の高校野球界の展望を調子に乗って語ります。読者のみなさん、ぜひご参照ください。
突っ込まざるを得ない記事を紹介するシリーズ – ツミジュリの情夫狂い
気が付くと当ブログも今回で 600記事の配信となりました。平成28(2016)年5月19日から開始して2年余り、よくぞここまで続けることができたもんだとちょっと自分を褒めつつ、目標の 1000記事配信まで気合を入れて頑張ろうと決意を新たにした次第であります。
今回は600記事配信企画として、明治時代の鬼女のお話を紹介します。明治31(1898)年8月29日から3回にわたって琉球新報にて連載された『ツミジュリの情夫狂い』と題する物語で、現代の”鬼女速”に掲載されているような内容です。ただし現代ではあまり使われない用語が複数ありましたので、ブログ主でいくつか説明すると、
平成31年度首里城公園「御内原エリア等」開園記念キャンペーン – 琉球泡盛の粋 in 銭蔵
すこし前の話ですが首里城内御内原エリアが無料開放されていた時期に、”銭蔵(ぜにくら)”と呼ばれる場所で”琉球泡盛の粋 in 銭蔵”と題した泡盛に関するパネルが提示されていました。せっかくなのでブログ主でパネルを撮影して書き写しました。読者の皆さん是非ご参照ください。
実は書き写した理由の一つにパネル内の誤字脱字が予想以上に目立ったことがあります。この手のイベント用パネルでは極めて珍しいのですが、それだけ泡盛業界に元気がないことの傍証でしょうか。誤字脱字の部分はブログ主で訂正しました。
残波岬の決闘
今回は “残波岬の決闘” について記事を纏めてみました。ブログ主が確認した限りでは “残波岬の決闘” と思わしき事例は2件あり、一つが昭和 29年(1954年)の那覇とコザのアシバーたちの揉め事に関するものと、もう一つが昭和39年(1964年)の空手道場の門下生間のトラブルに関するものです。この2件は実際に決闘は行われなかったようですが、もしかしたら他にも決闘の事実があるかもしれません。
昭和29年の決闘について、比嘉清哲著『沖縄警察五十年の流れ』から関連項目を抜粋しました。読者のみなさん是非ご参照ください。
残波岬の決闘(昭和39年度)
昭和39年(1964年)の”残波岬に決闘”に関しては相反する伝聞情報が多くてどれが事実か判断できません。現時点で公開されている情報を二つ掲載します。
沖縄のマスメディアが過去に実施した啓蒙活動の一例
以前、当ブログにて”沖縄のマスコミは本当に偏向しているのか”の記事を配信し、その中でマスコミの体質が今も昔も”啓蒙”であることを指摘しました。今回は過去の啓蒙活動の実例を紹介します。
昭和15年(1940年)8月25日付沖縄朝日新聞社の特集号『第二回皇軍慰問号』の中に戦地の兵隊さんに向けての小学生の激励文が掲載されていました。啓蒙活動の一環として未成年を使う辺りは、いまも昔も変わりません。読者の皆さん是非ご参照ください。
突っ込まざるを得ない記事を紹介するシリーズ – うるま新報編
今回の突っ込まざるを得ないシリーズは、昭和24年から25年にかけて『うるま新報』に掲載された記事をピックアップしました。沖縄戦後のドサクサで社会秩序が混乱していた時期らしく、じわじわくる事件が満載です。秀逸なのがタイトルの付け方で、この点は現代の記者よりも優れているのではと思います。読者のみなさん、ぜひご参照ください。
現存する最古の太田朝敷関連の史料
今回は現時点で確認できる最古の太田朝敷先生の史料を紹介します。沖縄県立図書館で公開されている明治27(1894)年12月16日付『琉球新報』の中に “大田朝敷” 名義の署名広告と国頭地方を巡回視察した記事、および日清戦争に関する記事が掲載されてました。平成5(1993)年以降に刊行された『太田朝敷選集(上・中・下巻)』には掲載されていない史料になりますが、それは同記事の発見が2000年以降であったのが理由で、もしかすると今回初めての一般公開になるかもしれません。読者のみなさん、是非ご参照ください。
北海道日本ハムファイターズのキャンプを見学してきたお話
本日(2月2日)、ブログ主はかいぎんスタジアム国頭で行われている北海道日本ハムファイターズのファームキャンプを見学して来ました。宜野湾市からはるばる国頭までキャンプ見学に行った理由はただひとつ、吉田輝星投手の投球練習を見たかったからです(新聞報道で偶然知りました)。早速ですが読者の皆さん、是非ご参照ください。
ため息しか出てこない…
ブログ主は先月12日から県民投票に関する記事を精力的にチェックしてきました。今回の案件は投票実施の過程で「県の民意」と「市の民意」が対立するねじれ現象が発生し、最終的に県および新里米吉県議会議長の調停が功を奏して、全県一致で投票事務が実施できる流れになりました。その間の県や不参加の市長たち、および県政与野党らの動きが実に興味深く、試しにブログ主が調子に乗って経緯をまとめてみました。読者のみなさん是非ご参照ください。
首里城公園内”御内原”エリアを見学してきたよ。
以前から新聞等で告知されていた案件ですが、首里城公園の公式サイトに1月25日付の最新情報として1月28日から31日まで新規開演エリアの有料区域を無料開放するとの記載(下記参照)がありました。そこでブログ主は本日(1月29日)首里城公園を訪れて、無料開放されている御内原エリアを見学してきました。参考までに新規解放エリア内の建物等を撮影してきましたので、読者のみなさん、是非ご参照ください。
沖縄のマスコミは本当に偏向しているのか
先日よりブログ主は県民投票に関するニュースを精力的にチェックしています。1月13日付沖縄タイムスの一面記事『自民系衆院議員の作成資料に県民投票「否決」への道筋 勉強会で配布』を始め、読者の投稿記事などを確認しているうちに不可解な点に気が付きました。それは沖縄二紙(沖縄タイムス、琉球新報)が県民投票を推進する方針で記事を配信していることは理解できますが、不参加を表明した5市(宜野湾市、沖縄市、うるま市、宮古島市、石垣市)を評価あるいは擁護する記事を一つも掲載していないことです。
ハンスト考
今回は、今月1月15日の午前8時から1月19日の17時まで宜野湾市役所前での”ハンスト騒動”についてのブログ主の感想を記事にまとめました。すでに県内マスコミなどで大々的に報道されてきましたが、改めて公式サイト「県民投票への参加を求めるハンガーストライキ」を参照すると、ハンストの主旨は