●琉球新報は何事を為したる乎(一)
◎新聞紙が文明の社会に於て重要欠くべからざる一機関たることは世間既に定論あり。我輩が今更喋々するの要なかるべし。然して本県の旧社会が殆んど解体して新社会未だ建設せられず万事草々人々相率ゐて以て暴乱暗黒の谷底に陥らんとする時本紙は時代の要求に応じ特別の使命を帯て生れたり。時は明治二十六年九月十五日、場所は那覇区字西の借屋なりき。
◎新聞紙が文明の社会に於て重要欠くべからざる一機関たることは世間既に定論あり。我輩が今更喋々するの要なかるべし。然して本県の旧社会が殆んど解体して新社会未だ建設せられず万事草々人々相率ゐて以て暴乱暗黒の谷底に陥らんとする時本紙は時代の要求に応じ特別の使命を帯て生れたり。時は明治二十六年九月十五日、場所は那覇区字西の借屋なりき。
ブログ主は不定期ではありますが、過去の新聞や刊行物から沖縄ヤクザ関連の史料を蒐集・整理しています。その中で異彩を放つ人物はだれかと問われると、ブログ主は “多和田真山” と即答します。
平成31年(2019)4月24日付沖縄タイムス1面に「ペリーもち屋 平成で幕」との見出しで那覇市山下町にある「ペリーもち屋」が4月30日で閉店する旨の記事が掲載されてました。そこでブログ主は営業最終日の様子をチェックすべく、本日(30日)ペリーもち屋を訪ねてみました。
近年インターネットスラングから一般的に認知されつつある用語に上級国民があります。平成28年(2015年)7月に端を発した東京オリンピックのエンブレム騒動がきっかけですが、平成31年(2019年)4月19日に池袋で発生した悲惨な交通事故に対するマスコミ報道がこのネットスラングを結果的に拡散させてしまうことになりました。
先日ブログ主は那覇市泉崎にあるバスターミナルを散歩中に興味深い石碑を見つけましたので撮影してきました。「泉崎と旭町のまちがたり」と題した石碑には明治初期と現在の泉崎・旭町との対比および琉球八景図も掲載されて非常に充実した内容ですが、とりわけブログ主の目を引いたのが明治初期の那覇港の様子が描かれた『首里那覇絵図』です。説明文を書き写しましたので読者のみなさん是非ご参照ください。
ブログ主は先日、角川書店刊行の『沖繩文化史料集成5 – 球陽原文編』を参照していた際に、鬼餅(ムーチー)伝説について言及している箇所(巻 1-14)を見つけたので書き写してきました。試しに桑江克英氏による読み下し文もチェックしてブログ主なりに意訳を作成したところ、実に興味深いことが分かりましたので記事にまとめてみました。なお意訳とはいえ良い子の目に触れるのは憚れる箇所が複数ありますので、読者の皆さんも気合を入れてご参照ください。
今回の突っ込まざるを得ないシリーズは、明治時代の琉球新報に掲載されたじわじわくる広告を紹介します。明治33年(1900年)7月15日付で琉球新報は紙面を拡張しますが、実は17日付の2面で新聞広告についての論説を掲載しています。この論説は後日改めて紹介しますが、その内容は新聞広告は単に新聞社の利益のみならず、広告主や読者にも多大な利益になることを丁寧に説明しています。当時の琉球新報が如何に広告を重視していたかを伺わせる内容ですが、では実際にどのような広告が掲載されたのか気になるところです。
実際に当時の新聞をチェックすると大半は真面目な内容ですが、中には突っ込まざるを得ない広告もありましたので、今回はその中から選りすぐりの広告を抜粋しました。読者の皆さん是非ご参照ください。
以前「新聞と暦表記」と題した記事を配信しましたが、そのなかでブログ主は「大正時代の琉球新報を参照すると、ブログ主の手元にある25周年記念号(大正6年9月24日)の暦表記は元号で統一され、西暦も皇紀も表記されていません。いつから元号表記のみになったかは今のところ確認できませんが(中略)」と記述しましたが、やはり気になったので沖縄県立図書館に出向いてしらべてきました。
結論を先に申し上げますと、明治33年(1900年)7月15日の紙面から紙面上部の暦表記が元号に統一されていました。それと面白いことにこの日をもって琉球新報の題字が変更されて現在に至ってます。ためしに史料をコピーしてきましたので読者のみなさん是非ご参照ください。
当ブログにおいて前々回スターバックス沖縄本部店のレポート記事を掲載しましたが、実はもうひとつ有名な店にも立ち寄りましたので紹介します。県内在住者のカレー好きなら知らない人はいない(はず)の有名店、「カレー屋たんぽぽ」です。ブログ主が以前訪れたのが平成19年(2007年)ですから、12年ぶりの来店ですが、内装外装が全くといっていいほど変わってなかったのはちょっとびっくりしました。早速ですが読者の皆さん、カレーの聖地(とブログ主が認定)の巡礼レポートをご参照ください。
今回は読者のみなさんお待ちかねの沖縄ヤクザ関連の記事を提供します。第1次から第4次の沖縄ヤクザ抗争を調べると必ずといっていい程 “ミンタミーヨシフミ” という人物が登場します。コザ派→山原派の首領であり、昭和45(1970)年12月8日に結成された沖縄連合旭琉会理事長新城喜史(しんじょう・よしふみ)さんのことですが、彼に関して興味深い記事を発見しましたので紹介します。
去る3月25日付沖縄タイムスプラスに『沖縄の新たな観光スポットに やんばるに”オーシャンビュー”のスタバがオープン』の記事が配信されていました。海洋博記念公園近くに出店の内容にブログ主は思わず「名護涙目www」なんて余計なことを考えてしまいましたが、やはりコーヒー好きとしては一度は訪れるしかないと思い、本日(4月10日)に沖縄本部町店に行ってみました。読者のみなさん是非ご参照ください。
今回は平成31年4月7日付沖縄タイムス〈大弦小弦〉について言及します。まぁいろいろツッコミどころ満載の内容でしたが、要は普天間基地の辺野古移設反対運動をサポートする目的で執筆・掲載されたと見做して間違いありません。結論が決まっていて、それに合致する事柄をペタペタ貼り付けているので、どうしても文章に無理が生じます。しかも500字程度にまとめる制約がありますので、執筆者の苦労は察するに余りありますが、とりあえず全文を書き写しましたのでご参照ください。
先月(3月31日)の琉球新報に掲載された記事がネット上で物議を醸していたので、ブログ主もちょっと覗いてみました。『苦難覚悟で沖縄独立も』と題した仲宗根雅則さん(在イタリア、TVディレクター)のコラムで、たしかにツッコミどころ満載の内容でした。あまりの面白さに後世に残したい謎コラムと判断してブログ主が全文を書き写しました。読者の皆さん、是非ご参照ください。
政府は昨日(1日)11時40分ごろ平成に変わる新元号を正式に発表しました。ブログ主はニコニコ動画の生中継で菅義偉官房長官の記者会見の模様を見ていましたが、新元号「令和」に対して好意的なコメントが多かったのが印象的でした。従来のように中国の古典ではなく日本の古典(万葉集)からの出典が好意的に受け止められた感じです。
新元号の発表にともない、ブログ主も試しに沖縄の新聞における暦表記の変遷をチェックしたところ興味深い事実が確認できましたので簡単にまとめてみました。読者のみなさん是非ご参照ください。
今回はちょっと真面目にブログ主なりに平成の時代をふりかえり、そして新元号の時代はどのような社会になるかについて言及します。我が沖縄社会における平成の一大事件の一つに天皇陛下のご来島(平成5年4月23日から26日)があります。ブログ主は当時の新聞をチェックしましたが、印象に残っているのが第44回植樹祭への天皇・皇后両陛下のご臨席を要請したのが大田昌秀知事であったことです。