今回は偶然発見した「沖縄世論」2009(平成21年)秋季号の記事を紹介します。読者の皆さんはご存じとは思いますが、同年9月の衆院選で政権与党の自民党が敗北したことで、民主党(当時)を中心とした連立政権が誕生します。鳩山政権誕生で普天間基地の県外移設が実現するのではとの期待感が沖縄県に充満したいた時期でもあり、「沖縄世論」の記事はその空気を反映した出来栄えになっています。
琉球王国時代の穴屋を見にいったお話(2年ぶり2度目)
実は以前に当ブログにて掲載したことありますが、今回は2年ぶりに琉球王国時代の民家について言及します。明治34年1月11日付琉球新報に「芋の葉露」と題打ったコラムが6回掲載され、当時の田舎社会の暮らしぶりが詳しく記述されていました。その中に住宅に関する記述がありましたので、参考までに現存する海洋博記念公園内「おきなわ郷土村」に展示されている穴屋(あなや)を再び取材してきました。
ウチナータイム
先日よりツイッターで話題になっている不良マンガ「東京から沖縄に転校してきた不良の四コマ」でいわゆるウチナータイムに言及している箇所がありました。ウチナータイムはウィキペディアにも登場する程のウチナーパワーワードですが、ウィキの説明はちょっと凝りすぎるところがありますので、わかりやすい例として斎湖 伴仗さんのツイッターを引用します。読者の皆さん是非ご参照ください。
自衛隊は招かざる客
前回の記事があまりにも反響を呼び過ぎたため、正直公開をためらいましたが、今回は昭和52年1月の自衛官成人式不招待問題の記事を紹介します。ちなみにこの問題は、昭和54年(1979年)から那覇市が成人式の主催を地区実行委員会に変更したことで解決します。つまり地区の実行委員会が成人式に自衛隊員を招待するようになったことで、那覇市長の事実上の敗北という形で決着がついたのです。
風呂文化と琉球
今回は琉球・沖縄の歴史における風呂文化について少し言及します。国王やその女官たちは別として、ブログ主は琉球・沖縄の歴史において”入浴”に関する記述が非常に少ないのが常に頭のなかにひっかかっていました。
衛生観念が皆無というわけではないのですが、それにしては入浴に言及する箇所が極めて見つけにくい。実はブログ主が最初に確認したのは河原田盛美著『琉球紀行』の一節です。全文を書き写しますのでご参照ください。
オーバーキル
本日(6月3日)ブログ主は那覇市久茂地にある中華料理店”紅虎餃子房 レッドタイガー 久茂地”を訪れ、有名なランチ限定メニューを食べてきました。前回は”中華ラーメン悠楽”の鳥唐揚げ定食で敗北を喫してしまったブログ主ですが、今回もなかなかの強敵なので、それ相応の気合を入れて乗り込みました。B級グルメ好きの読者のみなさん、ぜひご参照ください。
上級県民の一例
以前、当ブログにて「上級県民の考察」と題した記事を配信しました。今回は昭和52年(1977年)に実際に起こった出来事を例にして、ブログ主なりに上級県民の生態について言及します。
その出来事とは毎年15日に行われる那覇市主催の成人式に自衛隊員を招待しない問題で、昭和52年1月12日に自衛隊側が那覇市に対して質問状を提出したことから大問題になりました。その時の記事は以下ご参照ください。
琉球古代史の難問
ここ最近ブログ主は血縁カリスマの考察のために、『中山世鑑』などの史料を中心に琉球古代史についてチェックしています。よく考えてみるとブログを運営して3年経過しましたが、琉球古代史はあまり触れてきませんでした。その理由が ① 四書五経など朱子学の知識が足りないこと、② 漢文や読み下し文の史料を読みこなす力が不足していたこと、③ そしてなにより琉球古代史は地雷原そのものなので、うかつに手を触れるのは危険かなと思ったからです。
廣告の利益
今回も太田朝敷関連の資料を掲載します。琉球新報は明治33年7月15日から紙面を大幅に改良しますが、その2日後に「広告の利益」と題打った社説を掲載します。ブログ主はこの論説を非常に重視していますが、その理由は琉球新報社が営利を意識して新聞を発行していたことがハッキリ分かるからです。
寄奈良原男爵書
今回は明治33(1900)年9月17日付琉球新報の無署名記事「寄奈良原男爵書」を紹介します。奈良原繁知事在任中(1892~1908)に掲載された知事評は実に珍しく、しかも論評が極めて冷静かつ的確であり、明治時代のジャーナリストのレベルの高さと社会における言論の自由度を伺える内容となっています。
令和元年度 – 第48回招待試合(明石商業vs北山高校)を観戦してきたよ
本日ブログ主はコザしんきんスタジアムで開催された第48回招待試合(招待校:明石商業)を観戦してきました。今年は明石商業を相手に18日は興南高校と沖縄水産高校が、19日は北山高校と沖縄工業が対戦しました。残念ながら前日(18日)の試合は観戦することができなかったのですが、本日は第一試合の北山高校との試合を観戦してきましたので、大急ぎではありますがレポートをまとめてみました。野球好きの読者の皆さん、是非ご参照ください。
義本王の墓
今回は『中山世鑑』に絡んだネタで、義本王の墓について言及します。今回わざわざ国頭村辺戸のお墓を訪れた理由のひとつに、「舜天王の墓の所在は確かではないが、義本王の墓は存在しているのは何故か?」の答えのヒントが隠されているのではと思いつき、つい調子に乗って辺戸までドライブしてきました。
その前に舜天王の墓について、笹森儀助さんの証言をご参考ください。
血縁カリスマの考察
以前、当ブログにて我が沖縄社会は血縁を通じてカリスマが継承されるという考え方がないことについて言及しました。その際になぜ血縁カリスマの発想が生まれなかったかについては触れませんでしたが、偶然にもその理由のひとつに気が付きましたので今回記事に纏めてみました。
琉球新報は何事を為したる乎 – その3
●琉球新報は何事を為したる乎(承前)
◎教育に関しては前項にも述べたる通り、我輩は多く専門家に譲り、只其結果として社会に出現したる弊害に就ては随時酷と思ふ程の批評をなしたること往々これあり。その要点を一二挙ぐれば本県の教育家が外観(ミエ)を張る為めに不相当の設備をなして民力を顧みざりしこと、教育の方法が社会の要求に副はざるもの多きこと、教育家に死法に拘泥して活知識に乏しきもの多き事にして、直言の為めその反目を受けたることまゝありき。然れども諸君我輩は教育に重きを置けばこそ苦言も呈するなれ、我輩が常に教育家に向かって相当の尊敬を払ひ、鄭重の待遇をなすを見ば教育家諸君は当に我輩の微衷を諒察せらるべし。
琉球新報は何事を為したる乎 – その2
●琉球新報は何事を為したる乎(二)
◎一般教育に関する特別の注文は曾て本紙上に縷陳(るちん=縷述)したるもの多し。然れども差当り切に希望するものは日本国民としてのコンモンセンスの中にも最もコンモン(普通)なる感覚の養成也。此(の)感覚は本県は他府県と大に異なる所あり。而して之を一致せしめざれば感情の融和到底望むべからず。感情融和せずして国民たるの実を全ふせしむることは是れ亦(また)到底期すべからざるの事也。本県に於て国民教育の基礎となるべき知識を注入するは先づ他府県と其感覚を一致せしむるにあり。他府県と一致せざる所の感覚とは大略左の如し。