既報ですが、7月12日に指定暴力団「旭琉會」の富永清会長が死去しました。当ブログでも当日午後から彼について言及した記事のアクセスが異様に伸びていたので、現代の情報伝達スピードの凄さを実感した次第ですが、今回は “富永清” の名を世間に知らしめた第六次沖縄抗争について図解を試みましたので、読者の皆さん是非ご参照ください。
国王がずっこけたお話
本日ブログ主は沖縄県立図書館に出向いて、沖縄ヤクザ関連の史料を蒐集してきました。その際に新聞チェック中ツボにはまった記事を見つけましたので当ブログにて紹介します。平成2年9月12日付琉球新報夕刊5面に「まんが首里城ものがたり」と題した漫画が連載されていて、その32回目で慶長の役について言及していました。
高校野球観戦レポート(沖尚vs沖水)
本日は沖縄セルラースタジアムで開催された高校野球の3回戦、沖縄尚学 vs 沖縄水産の大一番を観戦してきました。ちなみに両チームは去年も対戦してこの時は8-4で沖縄尚学が勝ちました。去年は力の差が歴然でしたので、それが点数差にも反映された結果となりましたが、今年は沖縄水産のほうが戦力は上かなと思っていました。
なお、2回戦(沖水 vs 小禄、沖尚 vs 南部工)の試合を見た限りでは不安材料は沖水の方が多かったので、いま対戦したら沖尚が勝つのではと事前に予想して現地観戦しましたが、結果を先に申し上げると(ブログ主の想定通り)4-1で沖尚が勝利しました。簡単に観戦レビューをまとめましたので野球好きの読者の皆さん、是非ご参照ください。
とみに逝くながきにわたりきよしかな
本日午後3時ごろ、当ブログにてかつて取り上げたことのある人物の訃報のニュースに接し、さっそくブログ主はその真偽を確かめてきました。そしてそれが事実であることを知り現地で驚いた次第であります。
平成30年から令和元年にかけて”昭和の往ける伝説”と称しても過言ではない人物の訃報が目につきます。先日もジャニー喜多川さん、竹村健一さん、そして本日といい一時代の終わりを痛感せざるを得ません。簡単ではありますが現地レポートをまとめましたので読者のみなさん是非ご参照ください。
*余談ですが、本日午後あたりから該当の人物を取り上げた記事のアクセス数が異様に伸びてましたので、この件は案外世間に知られているんだなと実感しました。
ものくゆすど、わ御主
先日ブログ主は史料チェックのため沖縄県立図書館の郷土資料館でまったりと涼んでいました。その際に山里永吉先生*の著作を読んでいたところ、突っ込まざるを得ない記述があるのを発見しました。
せっかくなのでその部分をコピーして全文を書き写しました。読者のみなさん是非ご参照ください。
*山里永吉(ヤマザト・エイキチ:1902~1989)戦前・戦後を代表する文化人の一人。画家、作家、歴史家、陶芸家。琉球史劇「首里城明け渡し
託孤寄命章
以前、ブログ主は「選挙における候補者選びについて真面目に考えて見たところ」というお題の調子に乗った記事を配信しました。いま読み直すと表現がどぎつい箇所が多々ありますが、考え方そのものは今もかわっていません。
だがしかし、今回はちょっと趣向を変えて「こういう候補者選びの方法もある」ということについて紹介します。まずは『論語』の一章をご参照ください。
高校野球観戦レポート(興南vs前原)
本日は予定を変更して急きょコザしんきんスタジアムに高校野球を観戦してきました。その理由は前日に糸満高校が那覇工業にまさかの敗北を喫したため、もしかして波乱が起こるのではと予感したからです。
糸満高校は兼城陽(遊撃手/右左)、川満剛(外野手/右左)という傑出した選手がいて、4番の山城真平君(三塁手/右右)も打撃好調、初戦の首里戦は現地観戦しましたが攻撃面に関して申し分なかったのでベスト8までは順調に勝ち進むものと思っていました。それがあっさり逆転サヨナラ負けを食らうあたり一発勝負のトーナメントの怖さを実感します。
突っ込まざるを得ない記事を紹介するシリーズ – やべーじじい発見
今回は沖縄ヤクザ関連の史料をチェックしているうちに発見した “カジマヤー” の記事を紹介します。昭和37(1962)年10月5日の琉球新報夕刊に前里宗快さん(97)のカジマヤーを祝う記事が掲載されていました。すごくいい話ですが、少しひっかかった部分があったので記事の一部を書き写しました。読者のみなさん是非ご参照ください。
*カジマヤー:数え年97歳のときに行われる長寿祝いで、旧暦9月7日に盛大に催されるのか慣例です。
【急募】琉球藩の二枚舌交渉を擁護する方法
今回は明治8年(1975年)に実際に起こった琉球藩の二枚舌交渉について言及します。事の発端は同年7月29日(新暦)に来琉した松田道之が通知した御達書の中にあった「清国との関係断絶」「日本の年号使用」そして「藩政改革」に対して琉球藩が難色を示したことです。
怪談奇聞(一)娼妓の亡霊に頼まれる
今回から不定期ではありますが、夏の風物詩である怪談を複数紹介します。大正元年8月の琉球新報を参照したところ、「怪談奇聞」と題して読者から応募した怪談が30話ほど掲載されていました。非常に興味深い内容だったので、その中の一部をコピーして原文をチェックしたうえでブログ主で句読点を追加した分を公開します。読者の皆様、是非ご参照ください。
逃げることの大切さ
今回はひさびさに沖縄ヤクザネタを提供します。アメリカ世の混沌としたアングラ業界では(当たり前のように)大幹部クラスが数人射殺されていますが、そのなかで(確認できた限りでは)唯一天寿を全うした人物がいます。その名は”善良な市民”こと喜舎場朝信さんです。
自衛隊は日本軍の後継者なのか、違うのか
今回はひさびさに沖縄タイムスのコラムに対する真面目なツッコミ記事を掲載します。令和元年6月24日付沖縄タイムス1面〈大弦小弦〉を読んだところ、見過ごすことができないミスリードがありましたので、勝手ながらブログ主にて訂正記事を掲載します。
全文を書き写しましたので、読者のみなさま是非ご参照ください。
宮古島の惨状
今回は尾崎三良(おざき・さぶろう)関連の史料から宮古島に関する記述を紹介します。尾崎関連の史料は明治15年11月26日に山形有朋参議に提出した『沖縄県視察復命書』がよく知られていますが、今回は明治15年7月19日から9月26日までの滞在記(尾崎三良琉球行日記)を参照しました。
琉球王国時代の宮古島については人頭税に代表されるように「搾取された」イメージが強いのですが、実際の史料をチェックすると予想の斜め上を行く惨状であったと思わざるを得ません。本島出身者には心が痛む内容かと思いますが、こういう現実があったことは無視するわけにはいきません。読者のみなさん是非ご参照ください。
砂糖取引の改良を望む
今回は明治34年1月11日付琉球新報2面に掲載された論説を公開します。ブログ主はこの論説の存在を「琉球新報は何事を為したる乎」で初めて知りましたが、実際にチェックすると琉球国から明治にかけての糖業の致命的欠陥を伺うことができる第一級の史料であると確信しました。その欠陥とは流通ルートを薩摩人(あるいは鹿児島県人)の糖商に牛耳られてしまったため、黒糖の買い手が圧倒的に有利であったことです。
レストラン”イノー”は外国人観光客でしにいっぱいだったワケさぁ
今月13日にブログ主は琉球王朝時代の家を取材するため海洋博記念公園を訪れました。そのついでといっては何ですが、美ら海水族館内のレストラン”イノー”に立ち寄って軽くランチを済ませてきました。実はブログ主はレストラン”イノー”の前身である熱帯ドリームセンターの中にあったレストラン”オアシス”の時代から何度か訪れていまして、今回は12年ぶりに立ち寄ってみたのですが、まぁ外国人観光客で大混雑しているのにはびっくりしました。以前はランチ時もガラガラだったんですがね(笑)。その時の様子をまとめてみましたので読者のみなさん是非ご参照ください。