学びの国…がぴったり

本日もブログ主は沖縄県立図書館を訪れて史料チェックをしていましたが、その中で極めて興味深い記事を発見しました。それは昭和52(1977)年8月29日付琉球新報5面に「学びの国…がぴったり」と題したとある国の教育事情についての記事です。

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平和の擁護 – 原子戦争反対、沖縄の原水爆基地化反対

前回の記事においてブログ主は沖縄原水協の分裂騒動について言及しました。なぜこの記事に関心をもったかと言うと、実は以前に沖縄人民党第七回党大会(1956年1月22日)および民連選挙の綱領を見たことがあるからです。

たとえば沖縄人民党第七回党大会の綱領には

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不屈の精神とは言うけどさ……

本日沖縄県立図書館で琉球新報の記事をチェックしていたところ、昭和39(1964)年7月21日付琉球新報朝刊1面に「原水協、分裂状態に」と題した沖縄原水協の分裂騒動についての記事が掲載されていました。ブログ主は原水協(原水爆禁止日本協議会)など日本の原水爆禁止運動については詳しい知識はありませんが、それでも記事内に気になる記述がありましたので当ブログにて紹介します。

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【急募】琉球藩の二枚舌交渉を擁護する方法 – その5

(続き)明治8年7月の明治政府による御達書(行政命令)に対する琉球藩の交渉ですが、当初は個別案件に対して受けるか否かの話でした。たとえば刑法習得のため学生派遣は可、軍隊駐留は条件付きで可、清国との関係断絶や日本の年号統一、あるいは藩政改革は拒否などで、ここまでは明治政府から派遣された委員たちも想定の範囲内でした。

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【急募】琉球藩の二枚舌交渉を擁護する方法 – その4

前回の記事で簡単ながら明治政府と琉球藩との国家間の違いについて説明しました。これだけ認識の違いがあると交渉がすれ違いになるのもしょうがない部分はありますが、それでもやってはいけないことはあります。

明治政府による琉球藩への行政命令(御達書)の中の清国との関係断絶に関して、同年9月4日に琉球藩王尚泰の署名付の公式回答を紹介しますが、これは前回記事で紹介した同年9月3日の回答の斜め上をいく酷い内容となっていますので読者のみなさん心してご参照ください。

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【急募】琉球藩の二枚舌交渉を擁護する方法 – その3

今回も『琉球見聞録』をベースに明治8年9月における琉球藩の対日交渉について言及します。前回の記事で同年9月3日(新暦)の琉球藩王尚泰署名の公式回答が松田道之を怒らせたことを説明しましたが、なぜ琉球藩が「日清交渉において進貢中止が決定後、清国より正式な外交文書で進貢中止の通達があったのちに(明治政府の達書を)お請けします」なんて回答をしたのか、ブログ主なりに考えてみたところ、以下の仮説に行き着きました。

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【急募】琉球藩の二枚舌交渉を擁護する方法 – その2

今回はひさびさに真面目な歴史記事を掲載します。以前、『【急募】琉球藩の二枚舌交渉を擁護する方法 』と題した記事をアップしましたが、ブログ主も沖縄県民としてご先祖さまのやらかしに対してとかくのツッコミはいれたくないのです。だがしかし明治8年以降の琉球藩の対日交渉をつぶさに観察すると、あまりの酷さに

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観戦ガイド(沖尚vs習志野)

夏の甲子園大会4日目の第3試合で我が沖縄代表の沖縄尚学高校が、センバツ準優勝チームの千葉県代表習志野高校と対戦します。ブログ主はこの話に狂喜乱舞(2年ぶり2度目)し、本日の対戦を心待ちにした次第であります。

今回は、現時点で入手できる情報を基に、ブログ主独断で観戦ガイドを作成しました。野球好きの読者のみなさん、是非ご参照ください。

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最近訪れたがっつり系ランチを紹介するよ。

本日はひさびさに食レポをアップします。沖縄はここ数日気温が上がってブログ主も若干ばて気味ですが、それに敗けじと昼食はがっつり食べるよう心掛ける日々を過ごしています。

ただし今回は趣向を変えて、7月29日に訪れた「とん吉食堂」と8月5日の「那覇ステーキ」のランチの様子をアップします。がちまやーな読者のみなさん、是非ご参照ください。

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ファンタジスタ

昭和36(1961)年から2年近くにかけて、山里永吉先生が『壷中天地』と題したコラムを琉球新報に掲載していました。後にその一部が単行本化されますが、今回この中でもっとも香ばしいコラムを紹介します。

当時はアメリカ施政権下の時代ですので、「昔に比べて云々」のコラムが大衆受けしていた傾向があります。それにしてもいわゆる「大交易時代」あるいは「万国津梁の鐘」についてここまでロマンティックに記述した文章はなかなかお目にかかれません。読者のみなさん、是非ご参照ください。

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高校野球の闇

今月25日に岩手県での全国高校野球選手権の決勝戦(花巻東 vs 大船渡)が物議をかもしています。この件に関してブログ主が兎角コメントする立場はありませんが、大船渡の監督さんは父兄に対して何らかの説明責任を負わされた状況になっていると考えています。

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おくやみ欄と暴力団 – その2

前回「おくやみ欄と暴力団」と題した記事を配信しましたが、実はそのほかにも沖縄ヤクザ関連のお悔やみ記事を入手しましたので紹介します。正直なところ掲載されている人物のメンツがあれなので当初は公開をためらったのですが、戦後沖縄社会を伺う上で一級史料であるのは間違いありません。そのためブログ主判断で公開しますので、読者のみなさん是非ご参照ください。

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おくやみ欄と暴力団

先日、故富永清旭琉會会長に対する弔電の件で沖縄市と琉球新報との間でちょっとしたトラブルがあったことが産経新聞に報じられていました(暴力団幹部の死去をめぐり、沖縄市と琉球新報が批判応酬

ブログ主は7月15日付沖縄タイムスに掲載されたお悔やみの記事をチェックしたのですが、どうみても「一般の方である喪家から申し込みをいただき、指定暴力団による組織としての葬儀ではなく、ご家族が喪主の一般葬であるとの認識で掲載した(琉球新報)」との言い分は無理があるなと思いつつ、過去の暴力団幹部のお悔やみ記事を調べたところ面白いことがわかりましたので紹介します。

まずは下記コラムをご参照ください。

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岸本賀昌さんから学ぶこと

今回は岸本賀昌(1868~1928)さんについての記事を掲載します。現代の沖縄県民にとっては忘れられた存在かもしれませんが、戦前の沖縄県においては、漢那憲和屋部憲通などと並び称された三大有名人でした。

彼は明治15(1882)年に県費留学生として上京し、慶應義塾を卒業後つねにエリートの先端を切って歩いた人物です。その経歴は『沖縄の百年 – 第一巻人物編』から抜粋しましたので是非ご参照ください。

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