(続き)ブログ主にしてはめずらしく15世紀の琉球をテーマにした “巴志” の考察記事を提供する際、以前から強調しているとおり史料をチェックする際に儒教のセンスを意図的に頭から取り除く、いわゆる “朱子学フィルター” を設定して読み解く方法を用いています。
今回はその理由の一つを紹介します。ためしに喜舎場朝賢著『東汀随筆』に掲載されていたお話を書き写しましたので読者の皆さん是非ご参照ください。
(続き)ブログ主にしてはめずらしく15世紀の琉球をテーマにした “巴志” の考察記事を提供する際、以前から強調しているとおり史料をチェックする際に儒教のセンスを意図的に頭から取り除く、いわゆる “朱子学フィルター” を設定して読み解く方法を用いています。
今回はその理由の一つを紹介します。ためしに喜舎場朝賢著『東汀随筆』に掲載されていたお話を書き写しましたので読者の皆さん是非ご参照ください。
今回は沖縄県内数ある格安ステーキ店でも(ブログ主認定)ダントツNo1の “ステーキハウス88Jr” を紹介します。
店内パンフを参照すると、もともとは米国軍人・軍属相手のAサインクラブからスタートし、復帰後は民謡酒場、そして昭和53(1978)年からステーキハウスと変遷し、現在では県内有数のブラント店になりました。ステーキ好きの読者の皆さん、是非ご参照ください。
新型コロナウィルスに関連して、我が沖縄における医療・衛生の沿革をチェックしている際に明治31(1898)年4月の琉球新報に興味深い記事が掲載されていることに気が付きました。
今回は同年同月19日の県令(県知事が発した命令)、および28日の訓令(上級官庁が下級官庁に下す命令)全文を紹介します。ただし読者の便宜を図るべく、旧漢字を訂正および句読点を追加しました。是非ご参照ください。
すでにご存知の読者もいらっしゃるかと思いますが、沖縄ファミリーマートがプロレスラー長州力さんとのコラボで開発した商品を7日から販売開始しました(27日までの限定)。
今回は明治33(1900)年07月19日付琉球新報3面に掲載された “辻町ネタ” を紹介します。明治期の琉球新報を参照して印象的なのが、辻町に関する話題が不定期に掲載されていることです。それはつまり社会の関心が非常に高かったことの裏返しでもあります。
今回は、昭和38(1963)年10月21日から始まった喜舎場朝信(当時41歳)にかかる殺人未遂、証人脅迫事件の公判に関するエピソードを紹介します。この裁判に関連する新聞記事をチェックして印象的なのが、喜舎場さんに対する世間の風当たりの強さです。
今回のB級グルメレポートは那覇市久米2丁目にある ”中野鮮魚店” を紹介します。以前、久米の散策レポートでも紹介しましたが、今回は腰を据えて天ぷらなどを食してきました。
ちなみにこの中野鮮魚店、周辺の景色とあまりにも異なるため、ためしに沖縄県立図書館にあるゼンリン地図で調べたところ、なんと復帰前の1970年の地図にありました。しかも同じ場所です。すこし話はそれましたが、おいしいうちなーてんぷらを食してきたお話を是非お楽しみください。
最近沖縄ヤクザネタを放出していなので、かわりといってはなんですが、ブログ主が蒐集したネコの画像でもお楽しみいただけるとありがたいです。
ただし画像を貼り付けするだけでは面白くないので、ちょっとした解説もつけてみました。小さいことは気にせずに、ネコおよび沖縄ヤクザネタが好きな読者の皆さん、是非お楽しみください。
今回は琉球新報社編『ことばに見る沖縄戦後史 – パート1』から吉原の記事全文を掲載します。いまでこそすっかり寂れてしまいましたが、かつては沖縄を代表する特飲街として有名でした。
設立当時はあまりにも街が発展しすぎて犯罪が絶えず、しかも派出所も設置されていなかったため、山原派のこわいお兄さんたちが自警団として我が物顔で振舞っていました。ちなみに新城善史の自宅も吉原にあります。話がそれましたがアメリカ世時代の雰囲気が伝わる琉球新報社の吉原に関する記事を是非ご参照ください。
本日ブログ主は、お昼時間を利用してひさびさにカレーを食べ歩いてみました。暑い夏こそスパイスが効いたカレーを食べたくなる今日この頃、カレー好きには知らない人はいない有名なお店 ”スパイスカレーゴカルナ” に立ち寄ってみました。
ゴカルナはこれまでなかなか来店のタイミングが合わず、しかも新型コロナウィルス禍でテイクアウト営業のみの時期もありましたので、今回が3年ぶりの入店となります。神のカレーを堪能した今回のグルメレポート、ぜひご参照ください。
現代に生きる人は常に何らかのストレスにさらされています。当人の気がつかないうちに心に棘(とげ)が刺さっていて、いつの間にか不機嫌な日常を送っているケースがよく見受けられますが、いざストレス解消といってもどうすればいいかわからない人は案外多いのではないでしょうか。
今回は前回の記事”佐敷のタックルサー考”の続きで、巴志さん(と愉快な群臣たち)が大里を領有後に今度は首里に向けて進撃する様を『球陽』の記述を主として考察します。
本日ブログ主は、沖縄市中央パークアベニュー内にあるジャーク・チキン(ジャマイカ式グリルチキン)で有名な ”BAMBOO CAFE” に2年ぶりに立ち寄ってみました。
ちなみに沖縄ではジャマイカ料理はあまりなじみがありません。そのため米軍基地の軍人あるいは軍属さん向けの店舗かと思いきや、意外にも日本人のお客様も訪れているようです。多国籍料理好きの読者のみなさん、ぜひご参照ください。
本日は昭和36(1961)年に琉球政府によって慰霊の日が制定されてから59年目にあたります。この時期になると毎年恒例で沖縄戦体験や平和学習に対する記事が激増しますが、近年「沖縄戦の体験が次世代に伝わっていない」「平和学習のあり方を見直すべき」などの論調が目立って増えてきました。
先日ブログ主はちょっとハマったカツカレーの店(後日公開)でチキンかつカレーを美味しく完食したあと、偶然に那覇市久茂地の”キムチ工房やまや”の前を通りすぎました。
ちなみにこのお店は”那覇 – キムチ”で Google 検索すると一発でヒットするしに有名な店です。ブログ主は15年前に訪れたときに沖縄そばやゆし豆腐定食を美味しくいただいた記憶がよみがえり、懐かしさのあまりつい立ち寄ってみました。B級グルメ好きの読者のみなさん是非ご参照ください。