本日(6月18日)、ブログ主は巴志(=尚巴志)の足跡を調べるために『球陽』をチェック中、思いもよらぬ記述に遭遇しました。前に『蔡温時代の人民 – 1952年1月1日付琉球新報より』と題した記事を掲載し、蔡温が活躍した尚敬王(在位1713~1751)時代の暗黒面について言及しましたが、改めて『球陽』を読むと予想の斜め下を行く惨劇に背筋が凍る思いがしました。
ちなみに『球陽』は尚敬王あたりを境にして記述内容が素でエグくなります。参考までに Wikipedia の尚敬王の記述を参照すると、
本日(6月18日)、ブログ主は巴志(=尚巴志)の足跡を調べるために『球陽』をチェック中、思いもよらぬ記述に遭遇しました。前に『蔡温時代の人民 – 1952年1月1日付琉球新報より』と題した記事を掲載し、蔡温が活躍した尚敬王(在位1713~1751)時代の暗黒面について言及しましたが、改めて『球陽』を読むと予想の斜め下を行く惨劇に背筋が凍る思いがしました。
ちなみに『球陽』は尚敬王あたりを境にして記述内容が素でエグくなります。参考までに Wikipedia の尚敬王の記述を参照すると、
今回は那覇市松尾にあるしに有名な”大衆食堂ミルク”を紹介します。いまさらブログ主が紹介するのもなんですが、沖縄に現存する”オバー系食堂”の最高峰のひとつとして今回まとめ記事を作成しました。
余談ですが浮島通りは昭和と平成が入り混じったカオス感を感じる場所で、いつか当ブログでも散策レポートをアップしようか検討してます。話はそれましたがB級グルメ好きの読者の皆さん、大衆食堂ミルクの食レポをぜひご参照ください。
本日(6月12日)、首里城公園の有料区域が一般公開されましたので、早速ですがブログ主は現地に訪れてその様子を撮影してきました。今回は有料区域内を紹介します。
本日(6月12日)、首里城公園の有料区域が10時10分より一般公開されました。ブログ主は実際に現地に赴いて公開初日の様子を撮影してきましたので、読者のみなさん是非ご参照ください。
ただし予想以上に撮影枚数が多くなったので、2回に分けて記事をアップします。
本日ブログ主は、初めてキングタコス普天間店を訪れました。なぜ今回が初めてかといえば、インバウンド観光全盛のころは観光客がしにいっぱい訪れていてなかなか入店できなかったからです(長田店なら通算で100回以上訪れています)。
今月5日、ブログ主は那覇市牧志のマックスバリュー前にて玉城デニー知事が(きゆな智子候補の)応援演説を行なうとの報に接し、実際にどのような話をするか確認すべく現地を訪れました。
現地到着が思ったより早かったため暇つぶしに近隣を散策中、偶然面白そうな飲食店を2つ見つけましたので当ブログにて紹介します。読者のみなさん是非ご参照ください。
我が琉球・沖縄の歴史において、大正9(1920)年は特別な年になります。今年で100周年を迎えますが、意外にもこの年に何が起こったかを知らない県民があまりにも多いのでブログ主が簡単に説明します。
大正9(1920)年の4月に明治41(1908)年から施行されていた島嶼町村制度(特別の地方自治制度の理解でかまいません)が改正され、その結果我が琉球・沖縄の歴史において、
本日ブログ主は調べ物をするため、沖縄市立図書館を訪れました。その帰りに胡屋十字路近くコザ市場内にある”上原商店”に立ち寄り、以前からしに気になっていた黄色いカレーを食べてきました。B級グルメおよびカレー好きの読者のみなさん、ぜひご参照ください。
6月にはいって我が沖縄では新型コロナウィルス禍による外出自粛ムードがじょじょに緩和され、以前のような平穏な日常に戻りつつあります。残念ながら観光客はまだ戻ってきていませんが、逆に考えると以前はなかなか入店しにくかった県内有名店に足を運ぶ絶好の機会でもあります。
今回は創業が昭和29(1954)年、昭和の老翁レストランで有名な那覇市辻の”レストランジョージ(George)”でステーキディナーを食してきました。早速ですが読者の皆さんぜひご参照ください。
日本の降伏後、アメリカは蒋介石の内戦を支援するため20億ドル以上の贈与ないしはクレジットを提供し、多量の軍用・一般用の余剰資産を名ばかりの値段で売り、さらに最高時11万を超えた在華米軍の軍事物資を、引き揚げのさい「放棄」してきた。にもかかわらず「中国における内戦の忌わしい結果は、アメリカ政府の統制の範囲を超えていた」(アメリカ国防省『中国白書』)
歴史の発展を測る時間の単位は、人類史の発展とともに縮まってきている。旧石器時代にそれが万年であったとすると新石器時代には千年になり、歴史時代に入ると、数百年・百年・五十年・三十年と短くなっている。歴史の「進歩」への不信が広がる今日ではあるが、単位を一つ大きくとれば、歴史の前進が、それも英雄・天才の指揮棒によってではなく、無名の民衆の力量の成長によって達成されていることが知れよう。
先月25日に国の緊急事態宣言(新型インフルエンザ等対策特別措置法第32条第1項の規定に基づき、令和2年4月7日に宣言)が解除されましたが、ここでブログ主が改めて新型コロナウィルス禍について振り返ってみます。
令和2(2020)年1月3日に、中国湖北省武漢市において原因不明の重症肺炎の集積が報告され、のちに新型コロナウィルス(COVID-19)と判明、わが国では同年1月15日に感染1例目が報告されました。その後の流れは大雑把にまとめると、
本日、那覇市西にある有名店「ジャッキーステーキハウス」の店内営業が再開したと聞き、早速ブログ主は同店を訪れてみました。
新型コロナウィルス禍前のインバウンド観光全盛のころは外国人観光客で賑わっていましたが、さすがに本日は待ち時間なしで入店できました。ただし3密を避けるために一部座席は閉鎖しての営業でした。早速ですがステーキ好きの読者の皆さん、ぜひご参照ください。
3年前の今日(平成29年5月30日)、ブログ主は”現代社会の古典離れを憂うお話 その2”と題した記事をアップしました。ブログを開設して1年経過して初めて”改心の出来”という感覚を味わった初期の傑作ですが、あれから3年経過して我が沖縄社会および日本における古典離れはもはや手に負えない状態であると実感せざるを得ません。その一例として言論界における堕落した一部記者およびコメンテーターの例を挙げます。
今月25日、国の(改正新型インフルエンザ等特別措置法に基づく)緊急事態宣言が解除されましたの機に、これまで当ブログでも自粛していたグルメレポートを再開します。