台湾弁当ですから

最近、ブログ主はフレッシュプラザユニオン(以下ユニオン)で台湾弁当を販売していることを知り、さっそく古島の店舗を訪れてみました。ユニオンは惣菜コーナーが非常に人気ですが、その一角でたしかに臺瓏(タイロン)とコラボで3種の台湾弁当を販売してました。

余談ですがブログ主は臺瓏(タイロン)那覇松尾国際通り店でワンプレートランチを食べたことがあり、その経験から “これは絶対に外れはない” と確信して弁当3種を速攻でゲットしました。弁当ネタ好きの読者の皆さん是非ご参照ください。

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組織暴力団 – 火を吹く抗争 ⑨ 住民運動

去る23日午前10時、那覇地裁民事第三部(浜川玄吉裁判官)で、琉真会アジト明け渡し訴訟の第一回口頭弁論が開かれた。被告の琉真会会長・仲本政弘は出廷せず、法廷に姿を見せたのは原告代理人ただ1人。原告の上原能吉さんは出張中ということだったが、傍聴席もアジト近くに住む住民1人が来ただけで、暴力追放への住民の関心は薄かった。各地で上がった暴力追放の火の手は、このまま消えてしまうのだろうか…。

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組織暴力団 – 火を吹く抗争 ⑧ 勢力と構成

暴力団の犯罪は組織をバックにして行われる。ユスリ、タカリのたぐいから企業の乗っ取りまで組織的に悪事を重ねる。

「個人個人だったら取り締まりも問題はない。暴力団は組織として悪いことをするから始末が悪い」と警察は暴力団取り締まりに手を焼く。

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しに有名な日本そば屋さんが営業再開したので早速訪れてみた件

今月16日に那覇市久茂地にあった日本そば店「美濃作」が辻のステーキハウス88の2階で営業再開するとのニュースが琉球新報 Web News 上で配信されていました。

ブログ主は以前の久茂地の店舗はよく訪れていましたので、懐かしさのあまりつい新店舗を訪れてみました。新型コロナウィルスの第2波騒動でしばらくグルメレポートは自主規制していましたが、今回は再解禁第一弾の記事配信となります。読者のみなさん、是非ご参照ください。

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組織暴力団 – 火を吹く抗争 ⑦ 資金源〈下〉

ゆすり、たかり、ヒモ、バクチなどのほか資金源として有名なのがナワ張り料。しかし、ナワ張り料についても警察は、その実態をよくつかんでいない。警察のある幹部は「確かにナワ張り料を徴収していると思う。しかし、被害者からの訴えは全くない」と言う。

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組織暴力団 – 火を吹く抗争 ⑥ 資金源〈上〉

甘い砂糖にアリがむらがるように暴力団も金と言う甘い汁にむらがっている。そのためには暴力に訴えることなど朝飯前。ヒモとなって女性のかせぎを吸い、果ては人殺しさえも平気だ。「社会のダニ」「アシバー」(遊び人)と世間からさげすまれても甘い汁がある限り、彼らは暴力団をやめない。いま、社会不安をつのらせている一連の暴力団抗争事件も、つまるところ、資金源の奪い合いが引き金となっている。

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明治29年のクラスター騒動

今回は明治29(1896)年に首里区(現在の那覇市首里)で発生した天然痘のクラスター騒動について言及します。『琉球敎育巻2』の明治29年11月号に、首里区内の天然痘流行に伴い “女子講習科” および “首里高等小学校” などの敎育機関が一時休校になった旨の記事が掲載されていました。

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組織暴力団 – 火を吹く抗争 ⑤ 組織と武器

抗争が激化するにつれて、暴力団は銃器の確保に躍起となり、暴力団の武装化はますます強化されていく。短銃をしのばせ、連日連夜、車に分乗して走り回る旭琉会行動隊員。上原組、琉真組が相次いで本土広域暴力団・山口組系大平組と杯を交わし、アジトを構えたことから、抗争はエスカレートした。

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組織暴力団 – 火を吹く抗争 まとめページ

昭和52(1977)年5月20日付琉球新報11面から10回に渡って連載された特集記事 “組織暴力団 – 火を吹く抗争” のまとめページを作成しました。

ちなみにこの特集記事が掲載されたきっかけは、同年5月18日に那覇市牧志の十貫瀬で発生した旭琉会組員による射殺事件です。同年3月から旭琉会による上原組・琉真組に対する襲撃事件が頻発するようになり、その流れで射殺事件が起こったわけですが、さすがにこの事件は沖縄県警および世論の怒りを買います。

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アフターコロナの沖縄社会

今月7日の沖縄タイムス経済7面に気になるニュースが掲載されていましたので紹介します。”コロナで観光客625万人減ると・・・” の題字で新型コロナが県経済へ及ぼす影響の試算記事ですが、予想の斜め上をいく衝撃的な数値が公表されていました。

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組織暴力団 – 火を吹く抗争 ③ 抗争事件の底流〈下〉

沖縄連合旭琉会が結成されたのは昭和45年12月8日。沖縄は念願の祖国復帰を目前に控え、各界の復帰対策が進められていた。組織暴力団も例外でなく、復帰対策を練った。その結論が沖縄連合旭琉会の結成だった。これまで血なまぐさい対立抗争を繰り返してきた那覇派と山原派が過去のことをすべて水に流し、大同団結、復帰後予想される本土広域暴力団の沖縄進出を阻止することになった。

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組織暴力団 – 火を吹く抗争 ② 抗争事件の底流〈上〉

暴力団抗争事件の底流にあるのは何か。ひとつひとつの抗争事件が、次の事件へのいきがかりとなり、さらに新たな事件の引き金となっていく。報復が報復を呼び、憎しみだけがどす黒い血となって流される。

互いの憎悪が抗争事件を次から次へと生み出しているが、その本当のきっかけは県警もつかんでいないようだ。結局、抗争事件の現象から推測するほかはない。

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イッターカラ・サチニ・クルサイヤー

そういえば先ほど気がついたのですが、昭和52(1977)年の同日、琉球新報朝刊および夕刊に旭琉会組員による琉真会アジト襲撃事件が大々的に掲載されていました。

沖縄ヤクザ史上に残る “警官狙撃事件” で、事件直後に斉藤隆県警本部長が記者会見で、「しかし今後は暴力団が発砲して来たら、撃ち殺しても構わないと指示した」と公言したことでも有名ですが、それ以上にブログ主が驚いたのは、

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米兵「沖縄はパラダイス」

ご存知の読者もいるかと思いますが、令和2年8月9日付沖縄タイムス1面に、きわめて興味深い記事が掲載されていました。7月に発生した在沖米軍のクラスターに関する特集記事ですが、題字のつけ方が現代の沖縄タイムスらしいというかブログ主は複雑な心境にならざるを得ませんでした。

ためしに全文を書き写しましたので、読者の皆さん是非ご参照ください。

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