現代に生きる人は常に何らかのストレスにさらされています。当人の気がつかないうちに心に棘(とげ)が刺さっていて、いつの間にか不機嫌な日常を送っているケースがよく見受けられますが、いざストレス解消といってもどうすればいいかわからない人は案外多いのではないでしょうか。
佐敷のヒャッハー考
今回は前回の記事”佐敷のタックルサー考”の続きで、巴志さん(と愉快な群臣たち)が大里を領有後に今度は首里に向けて進撃する様を『球陽』の記述を主として考察します。
ジャマイカ風グリルチキンをひさびさに食べてきたお話
本日ブログ主は、沖縄市中央パークアベニュー内にあるジャーク・チキン(ジャマイカ式グリルチキン)で有名な ”BAMBOO CAFE” に2年ぶりに立ち寄ってみました。
ちなみに沖縄ではジャマイカ料理はあまりなじみがありません。そのため米軍基地の軍人あるいは軍属さん向けの店舗かと思いきや、意外にも日本人のお客様も訪れているようです。多国籍料理好きの読者のみなさん、ぜひご参照ください。
平和教育の致命的な欠点
本日は昭和36(1961)年に琉球政府によって慰霊の日が制定されてから59年目にあたります。この時期になると毎年恒例で沖縄戦体験や平和学習に対する記事が激増しますが、近年「沖縄戦の体験が次世代に伝わっていない」「平和学習のあり方を見直すべき」などの論調が目立って増えてきました。
ゆし豆腐(ライス・キムチ付)がしに美味い店に行ってきた件
先日ブログ主はちょっとハマったカツカレーの店(後日公開)でチキンかつカレーを美味しく完食したあと、偶然に那覇市久茂地の”キムチ工房やまや”の前を通りすぎました。
ちなみにこのお店は”那覇 – キムチ”で Google 検索すると一発でヒットするしに有名な店です。ブログ主は15年前に訪れたときに沖縄そばやゆし豆腐定食を美味しくいただいた記憶がよみがえり、懐かしさのあまりつい立ち寄ってみました。B級グルメ好きの読者のみなさん是非ご参照ください。
佐敷のタックルサー考
前回”黑いりうきうルネサンスの時代”と題して尚敬王時代(1713~1751)の暗黒面について言及しましたが、本来は巴志(1372~1439)の足跡を調べるため『球陽』などチェックしている際に素でエグい記述を見つけたので、ついでにまとめ記事を作成しています。今回は本題である巴志についてブログ主なりに言及します。
黑いりうきうルネサンスの時代
本日(6月18日)、ブログ主は巴志(=尚巴志)の足跡を調べるために『球陽』をチェック中、思いもよらぬ記述に遭遇しました。前に『蔡温時代の人民 – 1952年1月1日付琉球新報より』と題した記事を掲載し、蔡温が活躍した尚敬王(在位1713~1751)時代の暗黒面について言及しましたが、改めて『球陽』を読むと予想の斜め下を行く惨劇に背筋が凍る思いがしました。
ちなみに『球陽』は尚敬王あたりを境にして記述内容が素でエグくなります。参考までに Wikipedia の尚敬王の記述を参照すると、
大衆食堂ミルクのミルク感は異常
今回は那覇市松尾にあるしに有名な”大衆食堂ミルク”を紹介します。いまさらブログ主が紹介するのもなんですが、沖縄に現存する”オバー系食堂”の最高峰のひとつとして今回まとめ記事を作成しました。
余談ですが浮島通りは昭和と平成が入り混じったカオス感を感じる場所で、いつか当ブログでも散策レポートをアップしようか検討してます。話はそれましたがB級グルメ好きの読者の皆さん、大衆食堂ミルクの食レポをぜひご参照ください。
首里城公園の有料区域が本日公開 – 有料区域内に入場したよ
本日(6月12日)、首里城公園の有料区域が一般公開されましたので、早速ですがブログ主は現地に訪れてその様子を撮影してきました。今回は有料区域内を紹介します。
首里城公園の有料区域が本日公開 – プロローグ
本日(6月12日)、首里城公園の有料区域が10時10分より一般公開されました。ブログ主は実際に現地に赴いて公開初日の様子を撮影してきましたので、読者のみなさん是非ご参照ください。
ただし予想以上に撮影枚数が多くなったので、2回に分けて記事をアップします。
【速報】しに有名なタコライス店が空いていたわけさぁ
本日ブログ主は、初めてキングタコス普天間店を訪れました。なぜ今回が初めてかといえば、インバウンド観光全盛のころは観光客がしにいっぱい訪れていてなかなか入店できなかったからです(長田店なら通算で100回以上訪れています)。
ちょっと変ったスイーツに出会えたわけさぁ
今月5日、ブログ主は那覇市牧志のマックスバリュー前にて玉城デニー知事が(きゆな智子候補の)応援演説を行なうとの報に接し、実際にどのような話をするか確認すべく現地を訪れました。
現地到着が思ったより早かったため暇つぶしに近隣を散策中、偶然面白そうな飲食店を2つ見つけましたので当ブログにて紹介します。読者のみなさん是非ご参照ください。
大正9(1920)年から100年を経過して
我が琉球・沖縄の歴史において、大正9(1920)年は特別な年になります。今年で100周年を迎えますが、意外にもこの年に何が起こったかを知らない県民があまりにも多いのでブログ主が簡単に説明します。
大正9(1920)年の4月に明治41(1908)年から施行されていた島嶼町村制度(特別の地方自治制度の理解でかまいません)が改正され、その結果我が琉球・沖縄の歴史において、
コザで黄色いカレーを食べてきたわけさぁ
本日ブログ主は調べ物をするため、沖縄市立図書館を訪れました。その帰りに胡屋十字路近くコザ市場内にある”上原商店”に立ち寄り、以前からしに気になっていた黄色いカレーを食べてきました。B級グルメおよびカレー好きの読者のみなさん、ぜひご参照ください。
ウチナーアメリカンのディナーを堪能したお話
6月にはいって我が沖縄では新型コロナウィルス禍による外出自粛ムードがじょじょに緩和され、以前のような平穏な日常に戻りつつあります。残念ながら観光客はまだ戻ってきていませんが、逆に考えると以前はなかなか入店しにくかった県内有名店に足を運ぶ絶好の機会でもあります。
今回は創業が昭和29(1954)年、昭和の老翁レストランで有名な那覇市辻の”レストランジョージ(George)”でステーキディナーを食してきました。早速ですが読者の皆さんぜひご参照ください。