(続き)先月15日に “喫茶くりすたる” を訪れた食レポをアップしましたが、同月22日、および3月4日に改めて同喫茶店を訪れて、その他メニューを注文してみました。
突っ込まざるを得ない記事を紹介するシリーズ – 昭和58年の記事より
今回は昭和58(1983)年の琉球新報から突っ込まざるを得ない記事を紹介します。同年4月2日、那覇市前島のスナックで旭琉会新和会々長が上原組々員に銃撃された事件をチェックした際にじわじわくる記事を複数見つけることができました。
ちなみに同事件は、新和会々長が前島のスナックからの帰りに待ち伏せしていた上原組の組員2人に銃撃され、その後会長が近くの居酒屋に逃げ込むも、そこで銃撃戦がくりひろげられるという無茶苦茶な内容で、改めて昭和の時代のレベルの高さを痛感したブログ主であります。詳細は後日改めて紹介することにして、まずは昭和58年の突っ込まざるを得ない記事をお楽しみください。
”狙われたドン”(2)/ 多和田会長
県内の暴力団の中で、これまでにないほど、絶対的な力を誇示して来た二代目旭琉会多和田真山会長も、配下の組員の撃ち込んだ2発の銃弾にあっけなく倒れた。流血の抗争を繰り返して来たその歴史の中で、多和田会長自身も殺人を犯したが、やはり、穏やかな死は迎えられなかった。
”狙われたドン”(1)/ 島(シマ)割り
県内各地で暴力団排除の市民運動が展開されているなかで9日未明、沖縄市上地のスナックで県内最大の組織暴力団、二代目旭琉会の多和田真山会長(49)が2発の銃弾で倒された。同射殺事件は、犯人2人の20時間ぶりの逮捕によって一応の決着がついたかにみえる。しかし、過去の暴力団抗争が示すように、この世界は「目には目を、歯には歯を」の世界。いつ何時、血で血を洗う抗争が再燃するか、予断を許さない。
小学生マウント
今月26日付沖縄タイムス30面に “民主主義 本土に問う / 「大弦小弦」で紹介 反響相次ぐ” と題した記事が掲載されていました。その数日前のツイッターで小学生の作文が公開されていましたが、その全文を再掲載した形です。
暴挙の民の返上
基地の街の話題といえば、コザの外人車、焼きうち事件でもちきりである。積年の米政策に対する怒りが爆発したのだ!というのが一般の世論?と受けとられがちだが、声なき声どころか、これはマスコミのつくりだした風潮だと嘆く人々の多いことを知るべきである。
おもろそうしと猫
本日はネコの日ですが、それに関連してブログ主はかつて小室直樹博士が「旧約聖書にはネコが登場しない」と指摘されていたことを思い出しました。無類のネコ好きの博士(訪問先の外国で野良猫をチェックすることで、その地の経済状況が判断できると豪語)ならではの言動ですが、ならば琉球・沖縄の古典でも「ネコ」が登場するかを考えたところ、偶然にも猫に言及したオモロを見つけました。
説得力が違う
本日付沖縄タイムス22面に “スポーツ指導 / 私の提言” と題したコラムが掲載されていました。執筆者は新里紹也さん(元プロ野球選手)ですが、説得力が半端ない内容で、速攻で全文を書き写しました。
仲本善忠さんの功績を振り返る
昭和45(1970)年12月8日、復帰後における本土ヤクザ対策として沖縄連合旭琉会が誕生した件は、当ブログにおいて既に言及済ですが、意外にもその際に会長に就任した人物についてはあまり知られていません。
楚洲事件 – 初報
今回は昭和50(1975)年7月24日付琉球新報夕刊3面に掲載された “楚洲事件” の初報を紹介します。事件の概要は同年2月14日に上原組の組員3人が嘉手納へ借金取り立てに出かけた際に、旭琉会の組員7人に拉致され、国頭村楚洲の山中で殺害された件で、沖縄ヤクザ史上に残る残虐事件として広く知られています。
コザのランチでヒャッハー!しすぎたお話
当運営ブログの “しにま~さかったわけさぁ(食レポ)” をチェックすると、なぜか沖縄市(中央地区あたり)のグルメ記事が多いことに気が付きました。宜野湾民のブログ主としては地元のグルメスポットを紹介すべきではと思いつつも、ちいさいことは気にせずに今回もコザのグルメスポットを紹介します。
ランチメニューでヒャッハー!したお話
那覇市内の国際通り周辺を散策すると昭和の雰囲気を残した喫茶店が散見されますが、今回はその中で大盛りメニューで有名な喫茶店 “くりすたる” でランチを注文・完食したお話です。
個人への配慮が足りませんでした(棒)
今月11日付沖縄タイムス26面に “「あなたのまわりの森発言」募集 / タイムス社” と題して、幅広く意見を募集する記事が掲載されていましたが、即ネット上で炎上騒ぎとなり、同社は公式 Twitter で謝罪する顛末となりました。
森発言考
今月3日、日本オリンピック委員会(JOC)の臨時評議会での森喜朗会長(当時)の発言が絶賛炎上したのは記憶に新しいのですが、ブログ主はこの案件にひっかかるものがあり、さっそく発言全文を写本しました。
森発言全文 – 日本オリンピック委員会(JOC)の臨時評議員会
この建物(ジャパン・スポーツ・オリンピック・スクエア=JSOS)に、いろんな会議場があるんでしょうが、会議というものに参加したのが今回は初めて。実に立派な会議室だなと。
私どもの組織委員会の会議室とまったく違う。私どもの会議にはじゅうたんは入ってないです。つまり、我々の瞬間的な時間が決まった団体で、JOCは長い歴史がある。これからもスポーツの中心的役割を担うということだと思う。