任期満了に伴う那覇市議会選挙(定数40)が4日、告示され、今回はなんと63人が立候補を届けています。4年前にブログ主は那覇市議選の “カオス感溢れるポスター” を紹介しましたが、今回もややレベルは落ちるものの、やはり “じわじわくるポスター” が複数散見されました。
今回は琉球新報の那覇市議立候補者一覧(50音順)をも参照しておもしろポスターを紹介します。選挙好きの読者のみなさん、是非笑ってやってください。
任期満了に伴う那覇市議会選挙(定数40)が4日、告示され、今回はなんと63人が立候補を届けています。4年前にブログ主は那覇市議選の “カオス感溢れるポスター” を紹介しましたが、今回もややレベルは落ちるものの、やはり “じわじわくるポスター” が複数散見されました。
今回は琉球新報の那覇市議立候補者一覧(50音順)をも参照しておもしろポスターを紹介します。選挙好きの読者のみなさん、是非笑ってやってください。
沖縄県立中部病院コロナクラスターの件の続報ですが、本日付沖縄タイムスと琉球新報は県病院事務局が6月2日に中部病院に送ったメールを一面トップで報道しました。
既報ですが、先月30日の県議会一般質問で、照屋守之県議(沖縄・自民)の質問に対し、沖縄県病院事務局の我那覇仁局長は県立中部病院で、5月25日以降に計50人(入院患者36人、職員14人)の新型コロナウィルスのクラスターが発生したことを明らかにしました。 続きを読む
本日はカレー激戦区の那覇市国際通りでもブログ主大絶賛のチーズカレーを紹介します。
今回は国際通りのゆいレール美栄橋駅前近くを散歩中に “美味いカレー” を発見したお話です。沖縄そばやラーメンチェーン店のカレーは地味に美味いのでブログ主もよく食べに行きますが、今回訪れた “我部祖河そば” のカレーには心底驚きました。
果たして内部抗争はあるのか、そして会長の跡目はだれが継ぐのか – 。旭琉会の多和田真山会長射殺事件は、犯人の組員2人が早期逮捕されたことで、今後は旭琉会の内部がどうなるかに焦点が絞られてきた。
今のところ、主流派と反主流派が和解し、犯人を出した一家の総長が謹慎することで、組織の内部は一応の結着を見た格好。下部の組員にも事件発生直後から、「しばらくは動くな」との指令が出されていたといい、表面的には抗争の動きは見られない。
今月23日付沖縄タイムス2面に「山形空港の観光資源に」と題して、玉城健一郎県議のツイッター投稿が物議をかもした主旨の記事が掲載されていました。
“次世代の炎上芸人爆誕か” と勝手に想像しつつ、記事と該当ツイッターの全文を書き写しましたので読者のみなさん、是非ご参照ください。(ツイッターは玉城議員により削除されたため “消したら増えるの法則” に従いスクショを貼り付けておきます)
“一家総長制度” や “島割り” など組織固めの新しい構想を次々と打ち出し、ようやく安定期を迎えようとしていた二代目旭琉会にとって、多和田真山会長射殺事件は “晴天のへきれき” として大きな衝撃を与えたにちがいない。事実、多和田会長自身もわずかの取り巻きを連れて沖縄市中の町を飲み歩いていたほどで、ほとんど無防備に近い状態。撃たれたその瞬間までよもや自分をつけ狙っている者がいたとは考えもしなかっただろう。しかし、ことしに入ってすでにトラブルの兆しはあったと断言する声もある。
首里城と言えば “琉球王国の象徴” という枕詞が目につく今日この頃ですが、それはあくまで近現代の発想であり、時代によって為政者や民間における首里城に対する捉え方は大きく異なります。
ちなみに当運営ブログにおける首里城は “不人気” のひとことですが、今回は(毎度おなじみの)黒歴史に絡めながら首里城の記事をアップします。
今回は今月18日に名護市の有名店「レストランふりっぱー」でしに柔らかいフィレステーキを完食したゆるい食レポをアップします。
沖縄県の公式サイトからの情報ですが、令和02年度入域観光客数概況(令和03年04月30日発表)によると、令和2年の観光客数は前年度マイナス72.7%減の258万3600人という昭和63年度に次ぐ低い水準にとどまったことが明らかになりました。
令和元年(2019)と比べて減少した要因として、同サイトによると、
「会長はワンマンで、あまりの横暴さにことしの夏ごろから組織内でも不満が沸き上がっていた」。今回の多和田会長射殺事件の主犯・糸数真は逮捕後の取り調べに対し、こう動機を自供している。単純にそれだけとは思えないが、県警の暴力団担当の捜査員らの話を総合しても、多和田会長の独裁ぶりは最近とみに強まって来ていたという。
県内最大の組織暴力団・二代目旭琉会の多和田真山会長(49)が射殺された事件は、暴力団の組織壊滅に力を入れて来た県警にとっても大きな衝撃だった。組織内では “天皇” とも呼ばれるほどの絶対的な権力を握り、一家総長制を取り入れるなど内部体制も磐石に固まったと見られていただけに、言わば県警も虚をつかれた格好だ。
以前にも言及しましたが、沖縄ヤクザ史において最も興味深い人物は誰かと問われるならば、ブログ主は多和田真山(1933~1982)と即答します。それゆえに不定期ではありますが、ブログ主が蒐集した新聞史料を当運営ブログでアップしたところ、ネット上では “多和田ウォッチャー” として認知された感があることに気が付きました。
二代目旭琉会会長が短銃2発で射殺され、警察は十時間後に犯人2人を逮捕。そして3日後の総長会では「これ以上の内部抗争はしない」という和解が成立した – 。事の重大さに比べて表面上は不気味なほど穏やかだ。最初からこの事件を画策した “筋書き” があったのか。