アメリカ世時代の沖縄と山口組

昭和47年(1972)5月14日付琉球新報12面に” 沖縄に任侠道を…” と題して復帰後の沖縄に山口組が本格的に進出する(であろう)記事が掲載されていました。

参考までに当時の沖縄には親山口組の組織として “東亜友愛事業組合” が存在していましたが、それとは別に山口組は2年前の昭和45年(1970)4月に “国琉会” として那覇進出を試みましたが、わずか一か月で撤退した過去があります。

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うちな~の “奥義”

今月23日に投開票が行われた名護市長選挙は、大方の予想通り現職の渡具知武豊氏が新人候補に圧勝しました。傍目で見ても岸本候補の力量不足は明らかであり、この案件については後日言及するとして、今回は我がうちな~の “奥義” を大公開します。

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醜い “反差別運動”

すこし前の話ですが、令和3年(2020)3月10日の参議院財政金融委員会で麻生太郎氏が「武漢発のウィルスの話で、『武漢ウィルス』というのが正確な名前だ」と発言したことに対し、既存マスコミから批判の声が相次ぎました。

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俺が調子に乗って尚衛氏論文の解説記事をアップした件

以前に当ブログで尚衛(しょう・まもる)氏の論説全文を紹介しましたが、今回はブログ主なりの解説記事をアップします。令和4年1月1日付八重山日報 – 沖縄本島版 – に掲載された尚家当主の論文は、仲村覚さんのツイッター上で初めてその存在を確認しましたが、ブログ主的に2~3の気になる点を見つけましたので、そのあたりを中心にまとめてみました。

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〈透視鏡〉基地負担へ県が「外交」

軍事力の強化を続ける中国への対応を念頭に、日米の軍事一体化が加速する中、県は基地が集中することによる沖縄の軍事的な脆弱さなどを対外的に発信し、分散化を求める戦略を立てている。それと同時に2022年度以降、アジア太平洋地域の国々へ働き掛け、協力関係を構築していく構えだ。

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祖国復帰は沖縄県民自身が選び取った歴史です

新年明けましておめでとうございます。今年は、沖縄県が日本に復帰して50周年という節目の年でございます。

50年前に祖国復帰の瞬間を沖縄で迎えた方も多いと思います。一方、大学進学や就職によって故郷沖縄を離れ、ニュースなどで沖縄が日本に復帰した瞬間をご覧になった方もいらっしゃると思います。

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新春の宴 – その2

(続き)今回は “こども御開門” の後に有料区域内に入場し、現在進行中の “見せる復興” の様子を公開します。令和2年(2020)6月12日に入場した時に比べるとだいぶ様子が違っていましたので、その点を中心に編集しています。

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新春の宴 – その1

令和4年元日、ブログ主は首里城公園を訪れて “見せる復興” の現場を見学しました。毎年恒例の新春イベントとプラスして現在の首里城公園(有料区域含む)の様子をアップしますが、写真の撮影枚数が予想以上に多くなったため、2度に分けて記事を掲載します。読者のみなさん、是非ご参照ください。

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住民に迷惑かけない – 上原秀吉組長と一問一答

本日ブログ主は首里城公園の新春イベントを見学しました。その様子は後日アップすることにして、ブログ主的に首里桃原と言えば “第四次沖縄抗争”“上原勇吉自宅” のイメージが強いため、今回はそれに関連して昭和51年(1976)12月18日付琉球新報朝刊に掲載された上原秀吉(勇吉実弟)さんのインタビューを紹介します。

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“りうきう民族論” の正体

本日ブログ主はひさびさに首里城公園を散歩しながら “りうきう民族” について思索してみました。Wikipedia によるとりうきう民族は「かつて琉球王国(琉球國)の領域に相当する沖縄県の沖縄諸島と先島諸島、鹿児島県奄美群島に住む人々を、言語、生活習慣、歴史的経緯等から、独自の一民族であると定義した場合の集団である」とあり、あくまで “仮説” として記載されています。

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Aランチ考

当運営ブログにおいて、過去に3回Aランチに関する記事を提供しました(グランド食堂のグランチやピザハウスJrのヤングマンセットもAランチカテゴリーに含む)。その後  “コザのレストランで誕生|沖縄ぐるめ ルーツはどこ!?” と題したWEBサイトのを閲覧をきっかけに、現存する沖縄最古のAランチを提供している(と思われる)店を訪れてみました。

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