(続き)前回の記事で「りうきう・おきなわの歴史上で童名(わらびなー)に “おぎやか(神の血縁者)” と名乗った人物はたった一人しかいない」と指摘しました。童名については改めて言及するとして、今回は史料上に残された名前から彼女の正体を考えてみます。
【最終日】北京亭に行ってきたわけさぁ~
当ブログのグルメレポート “しにま~さかったわけさぁ(食レポ)” の中に、最終営業日の記事が複数掲載されています。たしか初回は北谷にあったジンギスカンの記事ですが、その後も地道に最終営業日の記事をアップしてきました。
わーびちゅらーのうちくんじょー(令和3年度バージョン)
本日付(11月26日)沖縄タイムス1面に “飲食「4人・2時間」解除 / 県が新方針 5千人超催しも” と題して、沖縄県新型コロナウィルス感染症対策本部会議が警戒レベルを緩和した新方針の適用を決めたとの記事が掲載されていました。
我が沖縄で全国1コロナが蔓延した理由……
本日付(11月25日)沖縄タイムス1面に “玉城知事、再選に意欲 – 新振興モデル模索へ “ との見出しで、玉城知事が来年秋に予定されている知事選に関して、再選への強い意欲を示す旨のインタビュー記事が掲載されていました。(沖縄タイムスプラスでは “「私への評価は県民の皆さんがすること」沖縄のデニー記事、再選に意欲” の見出しで、無料記事が配信されていました)
復帰協が残した教訓 – その4 結末
(続き)過去3回の記事において、復帰協の経緯と凋落の原因についてブログ主なりの意見をまとめてみましたが、今回はさらに深掘りして、なぜ復帰協が沖縄社会から(急速に)フェードアウトしたかについて言及します。
ブログ主が確認した限りですが、復帰協の活動方針には明らかな共通点があり、それは
復帰協が残した教訓 – その3 凋落
(続き)今回は昭和35年(1960)年4月28日に発足した復帰協の活動が、復帰後に凋落の一途をたどった件について言及します。昭和49年(1974)12月26日付琉球新報朝刊9面に衝撃的な記事が掲載されていましたので全文を書き写しました。
復帰協が残した教訓 – その2 経歴
(続き)今回は、宮里松正著『米国支配27年の回想』から昭和35(1960)年4月28日から昭和46年(1971)11月10日までの復帰協に関する年表を作成してみました。
復帰協が残した教訓 – その1 プロローグ
防衛省が今月14日、海上自衛官の輸送艦で宮古島に弾薬を運び入れた案件で、地元では一部の市民活動家が抗議活動を行っているとの地元メディアが報道していました。
俺が調子に乗って第49回衆議院議員総選挙を総括したった件 – その3
(続き)今回は先に行われた第49回衆議院議員選挙の結果を県内マスコミがどのように報じたかついて言及します。選挙翌日(11月1日)の沖縄タイムス1面は “自民2勝 議席増” との大見出しで、小選挙区における自民党の躍進を大々的に報じていました。
軽石……
前日(11日)のRBCニュースによると “県内の海岸に大量の軽石が漂着している問題で、宜野湾市の港でも11日、海面に軽石に覆われている様子が確認されました。11日の一部フェリーに欠航が出ています” と報じられたのを目にしたブログ主は、さっそく本日宜野湾市のトロピカルビーチを訪れてみました。
血ぬられたゼネスト – まとめページ
昭和46年(1971)年11月10日に浦添市勢理客の国道58号線(当時1号線)で発生した警官殺害事件、いわゆる “沖縄ゼネスト警察官殺害事件” のまとめページを作成しました。
北京亭で豪遊してきたお話
既にご存じの読者もいるかと思われますが、沖縄市中央のパルミラ通りで営業中の “北京亭” が今月30日で閉店するとの情報を聞きつけたブログ主は、事実を確認すべく同店を訪れてみました。
俺が調子に乗って第49回衆議院議員総選挙を総括したった件 – その2
(その1からの続き)すこし話がそれましたが、今回はまじめに我が沖縄における第49回衆議院議員選挙の結果についてブログ主なりに考察しますが、結果はご存じの通りオール沖縄勢力が大型選挙で結成以来の惨敗を喫したと看做して間違いありません。
俺が調子に乗って “オール沖縄” の今後を考えてみたった件
今回も番外編として第49回衆議院議員選挙で初の敗北を喫したオール沖縄の今後についてブログ主なりに考えてみました。
俺が調子に乗って第49回衆議院議員総選挙を総括したった件 – 番外コラム
以前、当ブログで “害虫の異常発生” と題したコラムを掲載しました。元ネタは昭和51年12月12日付琉球新報夕刊1面に掲載された〈金口木舌〉ですが、今回はそれにヒントを得て、ブログ主なりに昭和のノリで選挙コラムを書いてみました。