新春の宴 – その1

令和4年元日、ブログ主は首里城公園を訪れて “見せる復興” の現場を見学しました。毎年恒例の新春イベントとプラスして現在の首里城公園(有料区域含む)の様子をアップしますが、写真の撮影枚数が予想以上に多くなったため、2度に分けて記事を掲載します。読者のみなさん、是非ご参照ください。

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住民に迷惑かけない – 上原秀吉組長と一問一答

本日ブログ主は首里城公園の新春イベントを見学しました。その様子は後日アップすることにして、ブログ主的に首里桃原と言えば “第四次沖縄抗争”“上原勇吉自宅” のイメージが強いため、今回はそれに関連して昭和51年(1976)12月18日付琉球新報朝刊に掲載された上原秀吉(勇吉実弟)さんのインタビューを紹介します。

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“りうきう民族論” の正体

本日ブログ主はひさびさに首里城公園を散歩しながら “りうきう民族” について思索してみました。Wikipedia によるとりうきう民族は「かつて琉球王国(琉球國)の領域に相当する沖縄県の沖縄諸島と先島諸島、鹿児島県奄美群島に住む人々を、言語、生活習慣、歴史的経緯等から、独自の一民族であると定義した場合の集団である」とあり、あくまで “仮説” として記載されています。

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Aランチ考

当運営ブログにおいて、過去に3回Aランチに関する記事を提供しました(グランド食堂のグランチやピザハウスJrのヤングマンセットもAランチカテゴリーに含む)。その後  “コザのレストランで誕生|沖縄ぐるめ ルーツはどこ!?” と題したWEBサイトのを閲覧をきっかけに、現存する沖縄最古のAランチを提供している(と思われる)店を訪れてみました。

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よど号赤軍派の記者会見(初)

今回はブログ主から読者の皆さんへの “クリスマス・プレゼント” として(笑)、昭和47年5月1日付琉球新報夕刊3面に掲載されていたよど号赤軍派メンバー記者会見の記事を紹介します。

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売春の実態探る / 夜の「吉原」(2)

閑古鳥鳴くバー街 24日午後6時、吉原内の中間にあるT字型道路横のかっぽうが開店準備。売防法が実施される以前は遊び、酔い客でにぎわっていたが、最近では閑古鳥が鳴くといったしまつ。男3人、女2人の従業員が店先で雑談しながら客待ち。そばを仕入れにきた行商人が「景気はどうか」と聞いていたが、店の従業員は「ごらんの通りだ」とションボリ。

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りうきうのおとなのおもちゃ店

本日24日は(ご存じの通り)クリスマス・イブですが、今回は毎年恒例の “じわじわくる風俗記事” を紹介します。今年は昭和47年に我が沖縄の歴史上はじめて “おとなのおもちゃ店” が摘発された記事を紹介します。

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売春の実態探る / 夜の「吉原」(1)

【コザ】「更生保護政策の裏付けのない売防法の実施は無意味だ」。花柳街として広く知られるコザ市、美里村にまたがる特殊婦人の町「吉原」からは何の保護措置も受けないまま夜の女たちが新しい生活を求めて毎日のように1人、2人と姿を消していく。一方管理売春業者は「転業の見通しはないし、女には逃げられるので全くお手あげだ」とボヤク。

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県民を売る者

今日は昭和45年(1970)12月20日の “コザ暴動” から51年目を迎えましたが、前年度とちがいマスコミ等での取り上げ方が極めて少ないように見受けられます。

うかがった見方をすれば、去年行った一連の企画が予想以上の不評を買ったのかもしれませんし、あるいは(大手マスコミにとって)もはや「用無し」として取り上げる価値がなくなったのかもしれません。

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昭和47年5月当時の物価(風俗含む)

ここ数日ブログ主はクリスマス前後にアップする予定の史料をチェックしていますが、その際に極めて興味深い新聞記事を発見しました。昭和47年5月の琉球新報ですが、復帰直後の物価値上げに関する貴重な記述が見つかったのです。

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おきなわのゆるい喫茶店 – 茶暮里(さぼうる)

先日ブログ主は那覇市内久茂地地区をぶらっと散策中に、以前から気になっていた喫茶店に立ち寄ってみました。那覇市内には昭和の香り漂う喫茶店が多数現存していますが、今回紹介する “茶暮里(さぼうる)” もそのひとつで、地元では結構人気ある喫茶店と聞いてます。

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軍事基地があるから戦争に巻き込まれる

今回は(ブログ主が思うに)我が沖縄でいちばん誤解されているであろう命題について言及します。ここ数年の離島地域(与那国・宮古あるいは北大東島)への自衛隊誘致に関して、その配備に反対あるいは増強に対して反対する人たちの言い分をチェックすると、

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満韓旅行雑感(下)/ 中学生生徒 又吉康和

◎朝鮮人は 白衣(麻○絹)を着、異様の帽子を戴き、何んとなく神代ゆきたる感あり。朝鮮鞋(=靴)又甚だ面白し。士族以上の女は頭より衣服を被(かぶ)り居れり、之又甚だ異様に感じぬ。始めて来たる日本人が遠望して「扨ても朝鮮は美人多き所よ」と思ひしに、よく見れば痘痕(朝鮮は痘痕の多き由)あとにて失敗せし話ありと〔云ふ〕。彼等は常に長き(三尺ばかり)烟管(えんかん=キセル)を持てり。あゝ之れ彼の国民をして懶情(らいだ)不活発となせし一原因か!

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古琉球の深淵 – おぎやかの謎(3)

(続き)尚円王妃である彼女はりうきう・おきなわの歴史において特別な存在です。その理由のひとつが「おぎやか」の名称で、ブログ主が知る限り「童名(わらびなー)」で呼ばれてきた歴史的人物は彼女一人だけです。

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