前日(15日)にツイッター上で(偶然にも)石井孝明さんと沖縄2紙について少しだけやりとりをしましたが、それにヒントを得て、今回はブログ主なりに沖縄タイムスの “本質” について言及します。
日常生活には役に立たない沖縄ヤクザ・トリビア
今年は我が沖縄が本土に復帰して50周年の節目にあたります。それに関連して本土の組織暴力団(山口組)の沖縄進出について調べつつ、これまで蒐集したヤクザ関連の史料を整理したところ、興味深い事実を再発見することができました。
うちなーの正覚者
当ブログにおいて、前回 “うちなーの奥義” と題した記事が意外な反響を呼びましたので、今回はそれに関連して “うちなーの正覚者” について言及します。
国琉会について
前回の記事で復帰前後の山口組の沖縄進出について説明しましたが、今回は昭和45年(1970)4月に沖縄に進出した “国琉会” について言及します。
山口組の失敗
(続き)前回の記事で、アメリカ世から復帰後にかけて山口組の沖縄進出が失敗した理由はただ一つ “人材選びを誤った” と言及しました。今回はブログ主の手持ちの史料を利用して、この点について言及します。
アメリカ世時代の沖縄と山口組
昭和47年(1972)5月14日付琉球新報12面に” 沖縄に任侠道を…” と題して復帰後の沖縄に山口組が本格的に進出する(であろう)記事が掲載されていました。
参考までに当時の沖縄には親山口組の組織として “東亜友愛事業組合” が存在していましたが、それとは別に山口組は2年前の昭和45年(1970)4月に “国琉会” として那覇進出を試みましたが、わずか一か月で撤退した過去があります。
うちな~の “奥義”
今月23日に投開票が行われた名護市長選挙は、大方の予想通り現職の渡具知武豊氏が新人候補に圧勝しました。傍目で見ても岸本候補の力量不足は明らかであり、この案件については後日言及するとして、今回は我がうちな~の “奥義” を大公開します。
醜い “反差別運動”
すこし前の話ですが、令和3年(2020)3月10日の参議院財政金融委員会で麻生太郎氏が「武漢発のウィルスの話で、『武漢ウィルス』というのが正確な名前だ」と発言したことに対し、既存マスコミから批判の声が相次ぎました。
俺が調子に乗って尚衛氏論文の解説記事をアップした件
以前に当ブログで尚衛(しょう・まもる)氏の論説全文を紹介しましたが、今回はブログ主なりの解説記事をアップします。令和4年1月1日付八重山日報 – 沖縄本島版 – に掲載された尚家当主の論文は、仲村覚さんのツイッター上で初めてその存在を確認しましたが、ブログ主的に2~3の気になる点を見つけましたので、そのあたりを中心にまとめてみました。
権力の監視(笑)
今月10日付琉球新報上で “〈透視鏡〉基地負担へ 県が「外交」” と題した記事がSNS上で物議を醸し、担当した記者がツイッター上で「記事の意図」を数回にわたって説明するという事態になっています。
〈透視鏡〉基地負担へ県が「外交」
軍事力の強化を続ける中国への対応を念頭に、日米の軍事一体化が加速する中、県は基地が集中することによる沖縄の軍事的な脆弱さなどを対外的に発信し、分散化を求める戦略を立てている。それと同時に2022年度以降、アジア太平洋地域の国々へ働き掛け、協力関係を構築していく構えだ。
新年早々 “酷い社説” に思わず突っ込んでしまった件
前回 “祖国復帰は沖縄県民自身が選び取った歴史です” と題した尚衛氏の論説全文を掲載しましたが、その解説記事作成のために様々な史料に目を通した際、どうしても無視できない記事を見つけました。
【緊急投稿】アップグレードした圧倒的ナンバー1の無能感
令和4年(2022)1月3日付琉球新報 DIGITAL 版に “オミクロン株拡大「米軍が要因」/ 沖縄知事、管理体制を批判 / 県民に警戒呼び掛け” と題して、玉城知事が米軍の感染症対策に対して強い憤りを表明した旨の記事が掲載されていました。
祖国復帰は沖縄県民自身が選び取った歴史です
新年明けましておめでとうございます。今年は、沖縄県が日本に復帰して50周年という節目の年でございます。
50年前に祖国復帰の瞬間を沖縄で迎えた方も多いと思います。一方、大学進学や就職によって故郷沖縄を離れ、ニュースなどで沖縄が日本に復帰した瞬間をご覧になった方もいらっしゃると思います。
新春の宴 – その2
(続き)今回は “こども御開門” の後に有料区域内に入場し、現在進行中の “見せる復興” の様子を公開します。令和2年(2020)6月12日に入場した時に比べるとだいぶ様子が違っていましたので、その点を中心に編集しています。