一日三万六千円も麻薬代につぎ込む 「一日六千円(約十七㌦)– この男はそれだけかかっているんだ、ひどいもんだ中毒っていうヤツは…」とある捜査員が言う。「この麻薬天国・沖縄にあてはめて考えてごらんなさい。少なくとも米兵など外国人三千五百人、沖縄の人らが千人。合わせて四千五百人の中毒患者がいるんですよ。たいていの患者は五千四百円から六千円は使う。なかには一万円、一万五千円というのもいる。ひどいのは一日三万六千円だ。一週間は七日ですよ。七日。とてつもないでっかい数字にふくれあがりますよ」
俺が調子に乗って “りうきうの漢の定食” を完食したお話。
本日、ブログ主はネタ探しを兼ねてネットサーフィンで暇をつぶしていたところ、来月(2月)どん亭(現在那覇に3店舗)が豊見城にオープンするとの嬉しい記事が目に留まりました。実はブログ主も沖縄県立図書館で史料集めの帰りに、どん亭牧志店にはお世話になってますので、今回は “りうきうの漢の定食” ともいえる「どん亭スペシャル」の完食レポートをアップします。B級グルメ好きの読者の皆さん、是非ご参照ください。
俺が調子に乗って高校生失明事件の続報を検証した結果……
すでにご存じの読者もいるかと存じますが、今月17日に「高校生失明事件」に端を発した沖縄署襲撃事件に関し、”襲撃を主導” したとみられる22歳の暴力団構成員が逮捕されました。
黒い芽 – 暴力追放総決起運動 / (7) 施設
コザ市山里区の西 – 。郊外の松林は雑木にかこまれた金網の建て物がある。ここが琉球少年院 – 。”黒い芽” たちが裁判所を経て、最後に行きつく教育の場である。職員は、教官、事務員を合わせて50人。108人の男子と女子20人を収容する。
金網と官舎、狭い中庭と教室 – 。ここの設備は、いたって乏しく、定員の2.4倍を超越する収容児童たちは、文字どおりに身動きできない窮屈さと、うつ積するエネルギーのやり場のなさに “動物扱い” だと怒る。しかし少年たちの顔は明るい。それは “おかあさんが面会で笑顔をみせてくれた” から。そして “父が元気でやっているか” と、久しぶりに肩を抱いてくれたからだという。
俺が疲れ直しに那覇市辻を散策した結果……
本日、ブログ主は沖縄県立博物館に籠って、「おもろそうし」の写本や必要な史料をコピーしてきました。ひさびさの写本作業はさすがに疲れたので、帰りがけに疲れ直しに那覇市辻町を散策中、じわじわする光景に出くわしました。せっかくなので写真撮影し、当ブログでアップします。最近真面目なネタが多かったので、読者の皆さん、息抜き代わりにお愉しみください。
骨肉の争い / 旭琉会会長射殺 ■5■ / 壊滅作戦
多和田会長射殺事件は犯人2人の早期逮捕と県警の厳重な警戒体制が功を奏して、今のところ内部抗争に発展する気配もなく、事態はいちおう沈静化の方向に動き出したようだ。しかし暴力をバックにした不法集団内部の陰湿な権力闘争によって、県民の受けた迷惑は計り知れない。
今帰仁延子さんの考察 – その3
(続き)10代の経験が、後年に及ぼす影響についてはよく知られていますが、今帰仁さんも例にもれず、13歳から17歳までの4年間に受けた教育がその後の生きざまに決定的な影響を及ぼしたことは間違いありません。
その前に、彼女が如何に “特別な存在” であったかについて同級生の証言を紹介します。
今帰仁延子さんの考察 – その2
(続き)今回は、ブログ主が確認できた史料を基に、作成した今帰仁延子さんの年表をアップします。すると、幼少期の体験が今帰仁さんに決定的な影響を与えていたことが理解できますので、そのあたりをできる限り、そして調子に乗って分かりやすく説明していきます。
恐怖の白い粉(6) 原産地とルート
タイ国、専売制度を設け売りさばく いわゆる「発見の時代」にヨーロッパ人がやってくるまで、東南アジアの人々は、アヘンを知らずにいた。アヘンが公然と流れるようになったのは十九世紀。それは、十八世紀にイギリスの「東インド会社」が中国にアヘンを持ち込んできたのが最初だという。アジア人にアヘンは膨大なもうけになることを教えたのは今世紀になってからといわれる。一九二〇年ごろになると、タイ政府がアヘンから吸い上げた利益は、国庫収入の十五 – 二〇%を占めたという。
恐怖の白い粉(5) 運び屋
現役女性軍人が重要な役割 麻薬を運ぶ方法は、直接人間が持ち運ぶのと、物だけを送るという方法があるのは前回で述べた。もっぱら人間に運ばせていた “沖縄マフィア” の場合はどうだったか – 。
“運び屋” ハリー・キャッシー(二六)は現役女性軍人である。彼女は “沖縄マフィア” の中でも重要な任務を背負っていた。県警では、春先に得たいくつかの有力な情報から “運び屋” の中心人物はキャッシーに間違いない – との確信を持った。それ以後八月十日に逮捕されるまで、まる五カ月間の追跡が昼夜を徹して行われたのである。張り込みにつぐ張り込みが根気強く続けられた。
今帰仁延子さんの考察 – その1
年末から年始にかけて、ブログ主は可能な限り時間をつくり、過去に蒐集した史料の整理・整頓を行ないました。その際、昭和43年(1968)7月5日に起こった「琉球銀行若松支店強盗事件」の新聞史料をチェックしたところ、驚くべき記事を発見しました。
おクスリとオキナワ – まとめページ
これまで当運営ブログでアップした “おクスリ” 関連の記事に関して、読者の便宜を図るべく、まとめページを作成しました。アメリカ世時代の矛盾、そして復帰前後のポップ・アートの暗部を象徴する事例として、ブログ主が見つけ出した史料を不定期にアップしていきます。
俺が調子に乗って那覇市内を散策した結果…
本日(4日)、ブログ主は正月休みで暇を持て余していたので、ひさびさに那覇市内の散策と、首里グルメを楽しんできました。やはり今年は去年と違って観光客や地元の人たちの外出が多いなと実感しながら、あれこれブログネタになりそうなポイントを撮影しました。まずは、ひさびさにグルメネタをアップしますので、B級グルメ好きの読者のみなさん、ご参照ください。
おクスリとオキナワ
早いもので、当ブログが運営開始してから、今年(令和05年)で7年目となります。「よくここまでネタがあるもんだ」と軽い驚きを覚えつつ、今年度も調子に乗って記事を配信しますので、ご愛読の程よろしくお願いいたします。
なお、第1回目の記事は、毎年恒例の “沖縄ヤクザ関連” になりますが、今年はちょっと重い内容ですので、読者のみなさん、気合を入れてご参照ください。
「勲」から「功」へ
当運営ブログもおかげさまで来年は7周年目を迎えます。試行錯誤を繰り返しながらもなんとか7年目にこぎつけた感じですが、実は2年目あたりからカルト的人気を誇る分野が誕生しており、今日に至っております。
それは読者の皆さまご存じの通り、「沖縄ヤクザ関連」です。そして、これまでに自他ともに認める良質のコンテンツを配信し続けてきたわけですが、本日改めて過去記事をチェックしたところ、今年度は19記事を配信していました。ちょっともったいないので “20” というキリのいい数字で今年度を終わりたく、急遽ヤクザネタをアップしますのでご了承ください。