今月9日投開票の浦添市長選に絡んで、なにか面白い情報がないかと思いつつ、これまで蒐集した新聞記事をチェックしてみたところ、前年6月16日に行われた沖縄県議選での県政与党の大敗に関する山城博治氏のインタビュー記事を見つけました。
りうきうと “呪い”
先日、ブログ主のX上でちょっとした面白いやり取りがあったのがキッカケとなり、「呪」についていろいろ調べたところ、興味深いことが分かりましたので、当ブログにてまとめてみました。
「おもろさうし」から見た勝連の実力(二)
前回は「おもろさうし」から中城の国力について言及しましたが、今回は極めて興味深いオモロが掲載されている越来について言及します。実は越来のオモロは中城と違い “王者” を連想させる語句が使われているのが特徴です。
俺が調子に乗って沖縄市長選について語ってみよう(2)
今回は、今月26日投開票の第14回沖縄市長選挙において花城大輔候補に「大敗」した仲村未央候補について言及しますが、敗北はともかく8千票差は想定外でしたので、27日以降の沖縄二紙の特集記事を慎重にチェックしつつブログ主なりの考えをまとめてみました。
俺が調子に乗って沖縄市長選について語ってみよう(1)
既にご存じかと思われますが、今月26日投開票の第14回沖縄市長選挙において、自民・公明が推薦する花城大輔氏が、共産・立民・社民・社大推薦の仲村未央氏に大差をつけて初当選しました。
空気の支配と「誘導尋問」
令和07年1月17日、フジテレビがタレントの中居正広と女性とのトラブルに関する一連の報道を受けて記者会見を行いましたが、会見の運営方法に対して厳しい “社会的制裁” が科されている件は既にご存じかと思われます。
「おもろさうし」から見た勝連の実力(一)
今回から数回にわたって「おもろさうし」から見た勝連の “実力” について考察します。具体的には他の地域(中城・越来)のオモロと比較することで、勝連の国力を推測していくわけですが、その前に「おもろさうし」に登場する “神” についてまとめておきます。
過去の “自分” が襲い掛かる恐怖
ここ数日、ブログ主はたまっていた新聞史料をチェックした際に、偶然にも興味深い記事を見つけました。令和6年11月30日付沖縄タイムス23面に「SNS心得は自己肯定感」と題し、スマートフォンアドバイザーのモバイルプリンスさんが中学生を相手に講演した小さな記事ですが、非常に参考になる内容でしたので全文を書き写しました。
彼に関しては過去に一度取り上げましたが、「専門家」としては一目置かざるを得ない人物なので、興味深く記事を読ませていただきました。読者の皆さん、是非ご参照ください。
阿麻和利の乱(五)
前回の記事において、第二尚氏以降も勝連城主は「阿麻和利」を名乗っていた可能性に言及しましたが、今回は詩人である「おもろ殿原」について深堀します。
巻八「おもろねやかりあかいんこかおもろ御さうし」におもろ音上がり(オモロ詩人)のオモロが43首集録されていますが、彼(あるいは彼ら)のオモロには女神官のオモロとは違った特色があり、具体的には「国王、按司、民」を強く意識したオモロが散見されるのです。
ウチナーンチュの考察
唐突ですが、ふとしたきっかけで、「ウチナーンチュ」という用語について興味を抱いたブログ主が、いろいろ調べてみた結果、興味深いことがわかりましたので、当ブログにて簡潔にまとめてみました。
阿麻和利の乱(四)
前回の記事において、古りうきうにおける勝連と首里との関係が伺えるオモロを紹介しました。そして今回紹介するオモロが決定打になりそうですが、実はこのオモロは鳥越先生の解釈に(唯一)納得いかなかった難解な内容となっています。
又吉世喜さんについて知っていること。
ご存じのとおり、今年は昭和に換算すると100年の節目ですが、”スター” こと又吉世喜さん(1933~1975)がお亡くなりになって50年目であることを知る人は少ないかと思われます。そこで節目の年の企画として、又吉(以下敬称略)に関するまとめページ作成を思いつきました。
三が日恒例の参拝&アングラ巡り
読者のみなさま、あけましておめでとうございます。去年は当ブログをご訪問いただきありがとうございました。そして今年は沖縄ヤクザネタ強化年に位置付けてますので変わらぬご愛顧よろしくお願いします。
さよなら丸長食堂
既に当ブログにて紹介しましたが、本日(29日)は沖縄市美里の「丸長食堂」の営業最終日です。それ故に “最終日シリーズ” としてブログ主は本日18時30分ごろに同食堂を訪れてみましたが、営業時間中にも関わらず「準備中」の札が掲げられていました。
阿麻和利の乱(三)
今回から「おもろさうし」から首里と勝連の関係について言及しますが、実は勝連のオモロにはおぎやかもい(尚真王)を讃える内容の唄があります。それ故におもろさうし編纂時に、王家に都合の悪いオモロはカットされたのではとも考えられます。